『宅急便』を生み出したヤマト運輸の元社長 小倉昌男(おぐらまさお)の足跡を通して、「運送行為は委託者の意思の延長と知るべし」を社訓とするヤマト運輸の一端が垣間見える良書。<P>ヤマト運輸は、1919年昌男の父にあたる小倉康臣によってトラック4台で創業。三越などの法人顧客を捉え、順調に事業を拡大していたものの、父の後を継いだ昌男の代になると、すでに法人取引は限界を向かえていた。昌男は1976年、この窮地を脱する為に、国内初の「宅急便」をスタート。事業を大きく「個人取引」へと転換した。この試みが大成功し、開始5年で月間取扱荷物1000万個を突破。1990年代には月間取扱1億個を超え、現在もなお個人宅配事業のトップを走っている。<P>引退後は私財を投じ精力的に社会福祉事業に従事。同じく小!!!昌男の記したものとして1999年に出版された『小倉昌男 経営学』(日経BP社刊)がある。
ヤマト運輸の発展の歴史は、まさに官との闘いであったことが、著者の体験を通して率直に語られる。痛快な読み物である。<BR>著者の生き方は、筋を通すという点で一貫している。筋の通らないことには、相手が監督官庁であろうと何であろうと毅然と対決する。<BR>多くの若者に読んで頂きたい。
すでに定着しつつある「クロネコメール便」など、ヤマト運輸の経営方針を貫くこと=「官との闘い」等であると理解することができました。<P>郵政民営化に向け、保護される「官」とそれを民主主義のあるべき<BR>形へと奮闘する経営者にエールを送りたい。