著者はベネッセコーポレーションに20年近く努め、そこで小論文通信教育のプロデュースに関わって、その後、独立した。現在、通信教育誌『encollege小論文』編集長。そこで試行錯誤した経験を時折はさみながら、本のタイトルにあるような目標にきちんとアクセスできる構成になっている。内容的には、弁証法という言葉こそ使ってはいないが、現代における弁証法の意義とそれを実践する上での具体的な方法を示してくれている。特に、読み手にきちんと納得してもらう機能文、もしくはコミュニケーション文ともいうべきものの書き方が丁寧に解説されている。文章を書くのを苦手としている人から、さらなる上を目指したいという人まで幅広い層の人々に役立つ内容となっている。
真剣に他人へ自分が思っていることを伝えるにはどうしたらよいか。<P>考えることを放棄していてはそれは出来ないのです。<P>そしてそれはとりもなおさず、生きてゆくこと、に直結している<BR>のだとこの本を読んで感じました。単に「文章を書く」ことのみ<BR>にとどまらないものが読み取れます。<P>他人に理解してもらうために自分を偽る必要はありませんが、<P>最大の努力をすることは人間関係のためにも良いことなのでは<BR>と思います。
まず、本の形状・様式に関して言うと、右開き/縦書きではなく、左開き/横書きです。<BR>次に、内容面に入ると、小論文のみならず、上司の説得文、頼みごと、議事録、志望理由(自己推薦)文、詫び状、メールの書き方までを幅広く論じています。<P>このように実践的な内容の本ができあがったさいには、著者の過去が生きていたことが文章の端々からうかがえます。つまり、ベネッセ(旧・福武書店)に入社、通信教育誌の編集長を務め、高校生を指導し、上司に進言し、著者に執筆依頼をし、会議の議事録を取り、自己アピールをし、自分や部下の失敗を謝罪した過去です。<P>さて、著者の主義は、ただの精神主義でもただの技術主義でもなく、理想主義と現実主義との両方であっても、最終的には理想主義を尊重するものです。巧みな文章ともども、ぼくは非常に感銘を受けました。<P>具体的に引用すると、「企業にいた私は、最後にものを言うのは実力だと思う反面、自己アピールのうまい人が、さっさと欲しいポジションを獲得していくのを目の当たりにしてきた」(151頁)、「長い仕事生活の中ではいろいろな人に出会うから、こちらの常識の範囲ではどうしても悪いと思えないのに謝罪文を書かなければならないケースもある」(172頁)と書く一方で、「自分の腑に落ちるまで、自分の生き方にあった言葉を探し、言葉を発見し、自分を偽らない文章を書くことによってのみ、読み手の心は動くのだ」(110頁)、「常に読み手にとって心地よいことを書いていけば、相手に嫌われないが、それでは書く意味を見失い、読む側の興味も失せてしまう」(最終236頁)とも書いています。興味のある方はさらに読み進めてみてはいかがでしょうか。