かつて浅田彰はラカンの紹介文である『構造と力』でデビューしてニューアカブームを作った。それはラカンを構造主義の限界として扱い、それを超えていく方途を示すはずであった。しかし浅田はその後事実上沈黙してしまって理論的な作業はしていない。<力>に希望と可能性を見い出しつつ、その説明をしなかった(できなかった?)ワケだ。ただ批評活動は活発で、多弁な言葉は継続された。<P> その中で印象的だったのがオウムに関する「あれは単なるバカだ」という発言と、ベストセラーになったトラウマ語りの小説『永遠の仔』に対する「甘ったれだ」という評価だった。これらの言葉に感覚的に同意はできるのだが説明がないのは致命的な落ち度ではないか? すぐれた批評?も説明が無ければ罵倒にしか過ぎないだろう。<P> そういった浅田のスタンスは香山リカにラジカルに批判されたし、大塚英志によって真正面から説明し直されていった。「ライバルは浅田彰」という大塚の言葉はだてではなかったといえる。その後浅田は東浩紀の登場によって自分は終わったと宣伝文句を書いているが、それは無責任というものだろう。ここで東を否定しているのではなく、方法論があまりにも違い、東自身にとっても、浅田の後継的位置づけを望んでいるわけでもないだろうからだ。<P> 斉藤環はこの『心理学化する社会』で呆気なく、浅田が正当な批評としては提出できなかった「瘉し」ブームや「トラウマ語り」への批判を、現場に即した説得力と今後の展開への可能性を期待させる理論的な視点と共に掲げてみせた。臨床と理論の説得力だけではなく、それらを可能たらしめた厳しい自己倫理とラカンのさらなる可能性を示してみせたスタンスは近頃では稀にみる思想家としてのものである気がする。
1961年生まれで、多くのサブカルチャー論を書いている、医学博士号を持つ精神科医が、病院勤務の傍ら数年がかりで著した(2003年刊行)、現代社会全体の「心理学化」の趨勢を批判的に分析した本。著者自身、自分も「心理学化」を促進してきたことを自省しつつも、自分の立場にして初めて見えてくる様相も少なくなく、また避けることのできないこの趨勢につれて生じてくるであろう行き過ぎ・退行に警鐘を鳴らす必要があるという認識の下、使命感に基づき書いたと述べている。本書では、「心理学化」の時代背景、リアリティ、実存、権力とコントロールという複数のレヴェルが、サブカルチャーの具体的な事例からジジェクや東浩紀らの理論までを引き合いに出しながら論じられている。無論、著者の専門である神医学や心理学に関わる記述も豊富であり、著者自身の職業倫理が明言されている。データの裏付けがどれだけあるか微妙な箇所もあるが、現代社会を見る際に有意義な視角を提示できていると思う。著者が強調している精神医学と心理学の区別がきちんとできていない私が言うのもどうかと思うが、現代の青少年問題や、精神医療・心理学に関心のある方には一読をお薦めしたい。
ハードカバー本の斉藤環にしては易しい文体で、読みやすい。<BR>シニフィアンだの鏡像段階だの対象aだのといった術語は出てこない。<P>しかしそれでも、『文脈病』および『戦闘美少女の精神分析』<BR>を読んでからこの本を手に取ったほうが理解は深まるだろう。<P>規律訓練型権力から環境管理型権力への移行に関する記述については、<P>東浩紀の著作を参照することによって理解が深まるだろう。