これは素晴らしい1冊だ。それぞれの思想家が、人々が、その時代の制約の中で精一杯思考し、右往左往してるさまが蘇る。現在の俺達が思考し、右往左往するのと同じように。例えば小田実だ。誰が今時、小田実をその時代を生きた思想家としてアクチュアルに再考しようと思うだろう。だが、それは俺の傲慢だったのだね。単に遅く生まれたというだけの理由で、優位に立ったつもりでタカをくくって過去を語ってるのは、この本にも紹介されてる威勢のいい現代の評論家どもだけじゃなかった。俺だってそうだったのだ。ありがとう小熊英二、読んで良かったぞ。
私にとっては、ここ数年で最も買ってよかった本。6300円は安くないが、社会人なら、気の進まない飲み会を1回キャンセルすれば捻出できる額。けっして高くない。私は、中高大学生時代、朝日新聞を読み続け「日本はダメだ」「愛国というのは植民地思想と同義」というイメージを(朝日が直接的に書いてはいなかったかもしれないけれど)持ち続けてきた。日本人ではあるけれど、そのことを「誇りに思う」などと少しでも考えてはいけないのではないか、と思い続けてきた。アメリカ人が右も左も「愛国」を唱えるのを見て「戦争に勝ったから言えるんだな」と、どこかうらやましい気持ちを抱くようになった最近「今、日本人であることの悲しさは、国を愛するということと、改革派であることが両立しえないことだ」と思っていた。「<民主>と<愛国>」は戦後日本において、左翼が「愛国」を唱えた時代があることを、丹念な資料検分を踏まえ、教えてくれた。自分の歴史認識の浅さに気づくのは、とても楽しい経験だった。高名な知識人と言えども、社会の大きな動きと無関係ではいられない「弱い個人」である、という認識にも共感を持てた。また、戦争体験世代と言っても、年齢、居住地、階層で体験の内容が大きく違うと知ったことも、発見だった。翻訳されて海外の人にも読んでほしいと思う。あえて欠点を挙げるなら、結論部で在日韓国人のナショナリズムを「めざすべき形」のように取り扱っている部分。本論に比べて議論が粗く説得力が弱く感じるのが(個人的、主観的には賛成したいけれど)もったいないなと思った。
小熊さんは戦前、戦中、戦後派の思想家たちの主張を、思想家各々の戦争体験から説き起こしている。<P>同じことを体験していながら、なぜこうも言っていることが違うのか?誰かが間違えていると思っていたが、その主張をしている思想家にとっては真実であり、また他の思想家にとっては嘘である。大空襲を受けた都市部の人々と疎開先の田舎で戦争を過ごした人々では戦争の印象が全く違ってくる。<P>その細部を押さえながら戦後の「公」と「私」の関係を追っていく。<P>950ページ以上の本だが、読んだらなぜここまで分厚くなってしまったのか良く分かる。これだけで戦後を旅できるからだ。<P>最後のあとがきで小熊さんは本書を書いた動機について一考している。<BR>そこに単純に割り切れない感情が見え隠れしている。