横田さん夫妻が、めぐみさんが北朝鮮にいたとわかるまでの二十年間、どのような思いで過ごしてこられたのだろう、と思い、この本を手に取った。この本はめぐみさんが拉致されていたことがわかってから二年後の1999年に書かれた本であり、小泉首相の訪朝後のことについては付記されていないのが少し残念である。<P>ほんのわずかでも可能性があれば、娘の行方の手がかりをとことんまで追った二十年間の母の悲痛な思いと、その苦しみを支えたキリスト教信仰が印象的だった。<BR>そしてめぐみさんの、四十時間船倉に閉じ込められて「お母さん」と泣き叫び続け、爪が血まみれになっていたという、酷い連れ去られ方。涙なくしては読めない。<P>「お母さんがきっと助けてあげる」「めぐみはそんなむごい死に方をする子ではありません」という早紀江さんの言葉と、そこに込められた思いは、信仰に通じる思いなのだということをこの本を読んで実感した。希望を失ったら何も実らず、こちらの負けである。未だ生死の確認できない拉致被害者たちの生存を信じることが、希望を生み、障壁を打ち砕く原動力となるのだ。現に横田さんたちは家族の会を立ち上げ、四年目にして一部の拉致被害者の方々を日本に帰させる事ができた。わたしもその信仰の輪に加わり、皆さんの生存を信じなければと思った。<BR>また、この本を読んで、拉致の実態や、それを無視してきた日本の政府の態度も少し知ることができた。他の北朝鮮関連の本も読んでいきたい。
横田めぐみさんは、オレと同学年の女性である。<P>だから当時オレも中1で、そう遠くない県に住んでいた。めぐみさんが感動したという映画『ラストコンサート』もお気に入りで、映画館では大泣きした。ま、オレの場合「学校おもしろくねぇなぁー。ヤな奴にはいじめられるし」とか思って、時に「死にてぇなぁー…」などと思ったりしつつ、宿題もロクにしないでラジオの深夜放送など聴いては夜ふかししてたわけだが。それと同じ頃、ただ「(普通に)生きたい!」というその願いすら奪われ、この同学年の女の子は、遠い《北の国》へと連れ去られて行ったのだ。<P>お母さんの書かれたこの本を読んだ感じでは、もちろんめぐみさんは女の子なわけで、オレのようなグータラなことは無かっただろうと思われる(当たり前だ)。だからその日もきっと、部活を終えたあとまっすぐ家に帰り、「バトミントンの強化選手に選ばれちゃったけど、どうしようかな…」とか悩んだりしつつもお風呂に入り、「サザエさん」の再放送かなんかのテレビがついている居間で家族と晩ごはんを食べ(その日は火曜日だった)、サッサと宿題を済ませ、その日図書室から借りたばかりの本をちょっと読んでいるうちに、うとうと……、などといった時間を過ごしていたはずだ、もし何もなければ。<BR>そしてその後も続くはずだった日々、めぐみさんと家族たちの運命も、その日を境に大きく変わってしまったのだ。<P>考え出すと、この問題は強大で難しく、解決困難にも思えるのだが、この本を読むことで、あなたもきっと、自分の身に寄せて考えることができるようになるはずである。<BR>西岡力氏(著書「暴走する国家・北朝鮮」ほか)による、わかりやすい解説も併載されている。