米軍の本土上陸を控え、鹿児島は知覧に組織された陸軍特攻隊基地に、日本のためと信じて志願してきた年端もいかぬ特攻隊員達が送られてくる。<BR>まだあどけなさの残る少年達の多くいる特攻隊員達の、心からの憩いの場として見いだされた富屋食堂のトメは、隊員や教官達から実母以上に慕われ、それに応えるように、限りなき無償の愛を捧げ尽くす・・・。<P>軍神として散華しなくてはならなかった青少年達の、一番リラックスした状態に長く触れたトメと、その娘である著者礼子にしかみることの出来なかった数々のエピソードは特攻隊員の実像を伝える、一番正しい資料なのではないだろうか。いやしかし、資料と言うにはあまりにも切なく、悲しい。<P>輝くような純粋な瞳の、冒頭の写真にもある特攻した少年達の!実像と、その後の無惨な結末。<BR>自分たちが死ぬことによって残された日本が救われる・・・と信じて、彼らの多くは潔く命を散らしていったのだった。<P>著者、またはその母の立場ならではの各隊員達との親密な心の交流は、読者をして当時の状況に肉迫せしめ、まるで目の前に本物の特攻隊員がいて、一人一人別れを告げていく幻影を見るような気さえしてくる。<P>木訥だが真の人類愛の体現者とも言える鳥浜トメの生涯を軸にして、当時の特攻隊員達が特攻間際どのような日常を送り、どのような別れをしたのか。おそらくは、この本にしか見ることのできない特攻の真実があるのではないだろうか。<BR>ともすれば情に訴える形式を軽視しがちな「戦争」についての現在の認識を、原点に立ち返らせてくれる一冊である。
鹿児島県の知覧町に旧日本陸軍の特攻基地があった。そこに軍指定の冨屋食堂があり、食堂の女将が数多くの特攻隊員達から“小母さん”と慕われた鳥浜トメさんである。トメさんの次女である礼子さんが当時の記憶を蘇らせ、そのエピソードをまとめた物が本書である。しかし、悔やまれるのは鳥浜トメさんが生きておられる時に、このような記録として残す行為が成されるべきだった。その役割を担うはずのマスコミは、先の戦争観に偏見をもった姿勢でトメさんを取材し、純粋にトメさんが伝えたいことを全く無視して歪曲して報道に利用していた。そのマスコミの姿勢は今現在でも変わらない。安物のジャーナリストが蔓延るだけである。晩年にトメさんはそのジャーナリストと称する人達が取材に来ると「あんたらに話すことは何もないよ!!」の一点張りだったそうだ。我が国のマスコミは何時になったら反省をし、真のジャーナリズムに目覚めるのだろう…。本当に情けない。<P>本書を読んだら、是非とも鹿児島県知覧町にある特攻平和会館を訪ねてみて欲しい。特攻隊員が出撃前に書き綴った遺書や手紙が数多く展示されている。鹿児島が遠ければ、靖国神社の境内に遊就館という歴史館がある。そこにも同様のものが展示されている。何れを訪ねても、感動し涙しない人間はいないだろう。