kewpieさんのご意見ごもっともだと思います。<P>ある人物に対する回顧録がどれだけ読者に受け入れられるかは、<BR>その人物像が読者のイメージするものとの乖離の度合いでしょう。<P>私の場合はあまり違和感はありませんでした。<P>また、本書はリヒテルの日常生活についての逸話が多く、<BR>音楽的なことはあまりかかれていません。<P>この点から著者がリヒテルとある一定の距離を置くことの出来る人だというのも読みとれます。<BR>何と申しますか、割と客観的で、そのことに好感を持ちました。<P>とはいえ、上記のような理由により感想は人それぞれだと思いますので、<BR>参考になれば幸いです。<P>あまり難しいことが言えず申し訳ないです。
通訳兼付き人として20数年間リヒテルとともにあった著者の回想記。第1章は長らく「西側」で「伝説のピアニスト」といわれたリヒテルの私生活が描かれ、興味深い。しかし第2章は、どこそこへ行ってこんなことがあった、リヒテルはこうした、という内容であるが、おおむね同じ事の繰り返しである。しかも年代などにあいまいな点があり、全体として資料性はやや薄い。第3章はリヒテルの日本びいきとその理由(日本人のきめ細かいサービス)が描かれる。外国の演奏家が日本へ来たがる理由がよくわかる。<P>かつてある有名評論家がリヒテルを、「知性のかけらも感じられない」人物と評し、その音楽まで非難していたという記憶がある。確かに彼は学校教科をろくに学ばなかったようであるし、体系的な基礎知識身に付いていないようである。なぜ彼が亡命しなかったのか、かねがね不思議に思っていたが、世渡りに興味がなかった理由には、(本来学校で学ぶはずの)常識と社交性の欠落が大きく関与しているようだ。自分がどれほど別格の扱いを受けているかにさえ気づかない彼の世間知らず、極端な内弁慶ぶりが、ここでは繰り返し描かれているが、著者はそれを好意的にとらえている。しかし、だからこそ著者は長年「身内」でいられたのであって、ふつうはやはり付き合いにくい人物であろう。彼もまた、アスペルガー症候群の患者だったと考えるべきかもしれない。<P>しかし、彼の音楽は間違いなく天才のそれであった。私がリヒテルの天才を実感したのは、たとえばハイドンのピアノ・ソナタ全集をある凡庸なピアニストのCDで勉強」したあとにリヒテルを聴いたときである。あまりの違いに、音楽が生きて躍動するとはこういうことか、と思った(Decca輸436455-2)。もうひとつの例は、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番を聴いたとき(Olympia輸OCD288)。この曲を彼で聴いてしまったあとは、ほかの演奏はとても聴けない。彼が20世紀最大のピアニストの一人であったことは、どう考えても間違いのない「事実」である。<P>彼の実像は、やはりベールにつつまれたままの方がよかったかもしれない。こういう書物の扱いは、ちょっと困ったものである。