《自分自身の過ちを赦し、他人の過ちを赦すことを学びなさい。他人に赦しを乞いなさい。過ちを赦すことによって、心が和み、憎しみを消し、良心の呵責を免かれることができます。》<BR>―――本書(日本版単行本P.73)より<P>版元は違うのだが、『モリー先生との火曜日』の日本版単行本(以下、『火曜日』)と、ちょうどお揃いのようなカバーデザイン。表紙のポートレートは、『火曜日』(日本版P.8)でミッチと共に写っている写真の中、先生のそばの本棚にも立てかけてあるもので、先生お気に入りの1枚だったのだろう。人によっては『火曜日』のサブテキスト的な一冊のように感じるかもしれないし、実際、ちょっと難解なところがなくもないので、「『火曜日』は読んだけど、あんまり…」という方にはおすすめしない。だけど、『火曜日』の中でミッチに対して行なわれた授業/講義を、もっと深いところで感じ取ってみたい……、そう思われた方には、年齢も健康状態も関係なしにぜひ、こちらもお読みになることをおすすめする。あくまでこれはオレのとらえ方なのだが、ここでのモリー先生は、おもむろに「用件を聞こうか……」、じゃなかった(それはゴ■ゴ13…)、「じゃあそろそろ、本題に入ろうか…」、とでもいった感じで、今度はオレ…いや、あなたのために、もっとじっくりと語ってくれている。だから、もしかすると『火曜日』よりもさらに、モリー先生を近しい存在として感じることができるかもしれない。一気呵成に読むよりは、お茶か何かをそばに置いて、心の奥へと先生の言葉をしみ込ませるように、じっくり、何度でも読んでみたい、そんな一冊だ。<P>なお、この本の原題は当初“Letting Go”であり、日本版の表紙などにもその英題があしらわれているが、その後“Morrie: In His Own Words”と改題され、現在に至っている。
聖なる人がここにいる。聖人は、過去の宗教書の中にだけいるのではない。現在の私たちが生きる地球には、モリス先生がいた。日本人の感覚からすれば、悟りを開いた方である。難病が先生に「自己」は「肉体」よりも、はるかに大きな存在であることを啓示した。人間は、死ぬときは、ひとりぼっちだというのは嘘である。人間は、コミュニティの中でしか死ぬないのだ。モリス先生は、深く静かに、しかし、確信を持って語り続ける。
あの「モリー先生」が迫り来る死を見つめながら自ら書き下ろした本。<BR>自らの死をこのように静かに見つめる事が出来たなら、何も畏れる事はないだろう。<BR>自分の死に際してはこのようにありたいと思わせる、美しい本である。