本書は、サイバー空間の生成が「自由」あるいは自由の裏返しである「規制」にどのようなインパクトを与えるか、という点に関する考察の書です。<BR> <BR> 著者の主張を端的にまとめると次のようになるでしょうか(ちょっと荒っぽいですが)。<P>1. サイバー空間において自由を確保するということは政府の関与を排除することだという定説めいた主張があるが、それはまったくの間違いだ。<BR>2. サイバー空間において自由の広狭・内容を規定するのは「コード」だ。どのようなコードを採用するかによって私たちの自由は守られもするし、危険にさらされもする。採用を行う際、私たちはどのようなものを自由と考えているか、という価値判断が行われる。<BR>3. つまり、私たちはどのようなコードを採用するか決断を迫られる。もしくは、誰かが決断し、誰かが決断したということを知らずに決められたコードの下で生活する。あるいは知って生活する。望ましいのはもちろん私たち自身が決断することだ。<BR>4. ではどのように決断するか。理性が導く議論の説得力によって私たちが合意を形成していくことによってだ。その方法がもっとも望ましい。<P>著者はこうした議論を、ネット社会の技術やアメリカ合衆国憲法の理念・条項、さまざまなエピソードを交えながら幅広い視点から展開しています。サイバー空間で起こっている明確に捉えがたい事象を、巧みに整理して説明しているので、なるほどと思わせるところが多々あります。また、冷静な議論の下で静かに流れる著者の熱い理念に共感を覚えます。お薦めできる一冊です。
この本は実にラディカルです。ラディカルということ。それは、「そもそも」であり、「本質」に迫るということです。著者がアメリカ憲法の碩学であること。それゆえ、皮相的なテクニカルに走ることがないのです。世渡り上手を目指す、安直君向けの本ではないのです。<P>しかし、であるがゆえに、ぼくの場合、ネットと著作権と人間の自由と人間の解放と、しかし抑圧が可能になるカラクリとその対抗措置としてのオープン・コードの意義の深さをはっきりと認識できたように思います。<P>訳者の山形さんは、この本、何度も読むべしとされている。その通りだと思う。ラディカルな思想のラディカルな本です。これからも何度か読み返すことかと思います。通俗的な派手で声高な主張に、自分が飼いならされてきたな、!!ばいかも・・。とか思ったときに。
合州国憲法の精神がとてもよくわかります。<BR>一流の憲法学者の講義をうけているような気分になれます。<BR>ネットに関する鋭い考察も多数。<P>ただ、あくまで合州国憲法をベースにした本なので、日本国憲法の現状にあてはめたとき、ちょっと哀しくなるくらいのギャップを感じてしまうことも事実です。