本作品は『朝びらき丸東の海へ』と対になっているような印象を受けました。この作品が地面の下の地獄のような国を舞台にしているのに対して、朝びらき丸~は地上の世界、しかもそこはきらびやかな天国のような世界を舞台にしているのではないかと思ったからです。その案内人も勇気のある素晴らしい泥足にがえもんという人物ですが、その風貌は沼人というお世辞にも良いとは言えないものです。 <P> また現代の学校を風刺するように所々で、主人公の二人が通う学校を批判していたのは印象的でした。様々な冒険を三人で(後半では四人で)、くぐりぬける事によって子どもが成長してゆく様子はなんとも微笑ましいものです。また前回からのユースチスの成長ぶりにも驚かされました。 <P> 地下の国を本書では「夜見の国」としていますが、日本では死後の世界として名高い「黄泉の国」と対応させているようにも見受けられました。「日のさす土地へもどったものは少ない」「このものたちは、この世の終わりに目を覚ます」といった表現にもそのような事が窺えます。聖書の一節にある、「最後の審判の日」とも類似しているのではないでしょうか。 <P> また最後の場面も示唆深い場面です。キリスト教が反映されて描かれているものだと思いますが、ナルニア、現実の世界、地下の世界のそれぞれの意味を再度考えさせられる場面でした。本当にこのナルニアの物語には素晴らしい教訓が多く含まれていると思います。単に復活というだけでなく、普通ならばありえない他の世界への旅が実現しているあたりはキリスト教の死後の世界を彷彿とさせるものでした。<BR> <BR> ところで題名ともなっている銀のいすの隠された意味はなんなのでしょうか。単に王子がしばりつけられていたモノだけで終わるようなもので終わってしまう品物ではないように思えます。
「いじめられっ子」の少年少女が、行方不明のリリアン王子を探し出す役目をナルニアのアスランから与えられます。沼人<にがえもん>の助けを得て、三人で荒野や巨人の国、地下の国を行きます。<P>探し当てた王子は母親の仇である魔女<地下の女王>に捕らえられていました。これまで失敗をくり返していた子供達ですが、はじめてアスランの指示に従い、一見狂って見える王子を解放します。しかし魔女の惑わしは妖しげで狡猾で、何が真実なのかわからなくなってしまいます。「地上に国などなく、全ては夢と幻想で、目の前の物だけが現実です」と。<P>最初は真っ黒の甲冑の中、今は地下の暗闇に捕らえられ、魔法にかけられた王子を救う手立てはないかに見えますが、にがえもんはどこまでも勇気と健全な常識を失いません。その精神が全員を励まし、魔法を打破り、リリアン王子は仇討ちを果たします。<P>地上に戻った全員をナルニアの住民は歓呼で迎えますが、リリアン王子を待っていたのは父王カスピアンの死でした。労苦は報われたものの「もう帰りたい・・・」と子供達はつぶやきます。<P>しかしアスランと会った場所でカスピアンは若く元気な姿で復活します。そして、カスピアンはかねての願いであった人間の世界を垣間見、子供達と不正をただす機会があたえられます。子供達はナルニアでの冒険、カスピアンの死と復活を通して大きく成長するのでした。<P>ナルニア国物語の中で「銀のいす」が一番好きです。にがえもんは指輪物語の節士馳夫(アラゴルン)に匹敵する人物だと思います。
C.S.ルイスの作品の登場人物はとても魅力的。<BR>「泥足にがえもん」は最も印象的なキャラクターの一人?だろう。<BR>子どもたちの成長の跡をたどるのもおもしろい。指輪物語やハリポタの陰に隠れてしまったような感じもするが、<BR>一度は読んでおきたいファンタジーの原点とも言うべき作品。