不慣れな英語版で読みました。1~3巻で残ったもやもや、そしてさらに追い打ちをかけた4巻。それらがかなり解消されて、胸のつかえがとれたようです。「死と転生」「滅びと再生」「生と性」「世界の循環」「言葉と思い」・・・本来、このシリーズはこの5巻目で完結するのだと、しみじみと思って本を閉じました。ぜひ、児童期に1巻から順番に5巻まで通して読んで欲しい本です。シリーズものなので先の4巻までを先に読まねばならない(単独では世界観がつかみきれない)ハンデを考慮して、星を一つ減らしましたが、全5巻としては星は5つです。邦訳が楽しみです。
これってアースシーの世界=魔法使いたちの世界=男性が力を持つ世界の否定なのでは? ル・グウィンは、魔法使いよりその地位や力は下と貶めたまじない女たちに、フェミニズムという呪縛をかけられてしまったのではないかしら? それと、永遠に続く孤独な自己という死の世界から、ひとりひとり、石垣を越えていくところ。プルマンの「アンバーグラス」で、天国から子供たちが放たれていくところと、描写がそっくり。キリスト教の世界観では、生きていくこと、そして死んでいくことを、もう物語として構築して、人々を納得させるだけの力がなくなってきているのかな。でも、この第5巻にだって、全然納得させられないんですけれども。んー、絶対、これ、ゲド戦記と別物と思います。
私、最初の3巻は日本語訳で読んで、第4巻以降は出版と同時にリアルタイムで英語で読んでいます。で、英語だと4巻と5巻の間に“Tales form Earthsea”があるんですが、あの本はまだ翻訳されていないのでしょうか? あの本の,特に最後の章を読んでおかないと,恐らくこの本は6-7割くらいしかわからない気がするんですが…(岩波しっかりしてくれ)。<P>もう一つは感想ですが: SF作家としてのル=グウィンの特徴というかキーワードは、「文化人類学(的)」と「フェミニズム」だと思います。そのことは、SF作家としての代表作である「闇の左手」を読んだことがある人には、わかってもらえると思います。しかしゲド戦記の最初の3巻、特に第1巻と第3巻は、前者の特徴は色濃く出ていますが、後者はあまり感じられない,非常に男性優位の世界です。個人的には前から,ル=グウィンという作家の全体像から見ると、最初の3巻のほうが,かなり特殊な世界だと感じていました。で,結局,彼女は歳をとってから,Tehanu(帰還),Tales from Earthsea,The Other Wind(アースシーの風)を書くことで,「主人公=魔法使い=男性」という世界を自分の手で解体することになってしまった。それを成熟ととるか,ファンの期待を裏切ったととるかは人それぞれでしょうが,一人の作家としての一貫性・完結性ということを考えると,いわば最初の3巻の世界を包みこむような形で,この本を含む後半の3巻が書かれたのは避けられないことであったと思います。