今更評価を云々するまでもない古典、新渡戸稲造が著した「武士道」とともに、明治の殖産興業・富国強兵の時代にあってわが国を欧米に伝えた書。内村鑑三ならではと思われるキリスト教史観にもとづき、5人の日本人、すなわち西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人を紹介した。現代の経済社会にあって学ぶべき智恵とは何か、そんなことを考えつつ読み耽ることもひとつの方途だと思われる。<P> 安っぽくビジネス的に表現してしまえば、内村が表した5人の代表的日本人は、西郷隆盛はチェンジ・リーダー、上杉鷹山は経営者、二宮尊徳はコンサルタント、中江藤樹は教育者、日蓮上人は起業家、このように換言できるのかもしれない。<BR> 「機会には2種類の機会がある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。真の機会は、時勢に応じて理に適って我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、我々が作り出さねばならない」、「どんなに方法や制度のことを論じようとも、それを動かす人がいなければ駄目である。先ず人物、次が手段の働きである」(西郷)<BR> 「賢者は木を考えてから実を得る。小人は実を考えて実を得ない」、「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を治める」(上杉) <BR> 「一村を救いうる方法は全国を救いうる。その原理は同じである」(二宮)<BR> その境地に至るにはあまりに遠い道程があるが、その因果律は現代のビジネスの知見が示すところと然して変わらないだろう。<P> 範と言われる多くの経営者は、その仕事の後にある種の精神観・因果律に至っている。この5人は、これら経営者が引用することの多い「人物」である。範と言われる経営者からも多くを学び得るだろうが、5人から得られる智恵も少なくはないのだろう。
内村鑑三は、この書で取り上げた日本人すべてを尊敬しているわけではありません。<P>日蓮に関しては、同書の中で、<BR>「日蓮の教えの多くは、今日の批評によく堪えるものではないことを認めます。<BR> 日蓮の論法は粗雑であり、語調自体も異様です。<BR> 日蓮はたしかに一方にのみかたよって突出したバランスを欠く人物でした。」<BR>そのように表現しています。<BR> 内村鑑三が日蓮を評価したのは、「キリスト教的な殉教者精神」なのです。<P>宗教者が他宗徒をどのように評価するのかということ。<BR>この点が、まことに興味深い一冊でした。
武士道のように、英語で出版された本を日本語に訳して出版した本。外国人向けに日本のことを伝えるために書かれた本だが、日本人が読んでも面白い。むしろ、ココに書かれていることを知らない人のほうが多いと思う。そのへんの歴史教科書くらいじゃ載ってませんから。<BR> いままで、この本に書かれている人物のことを知らないでなんとなく?生きてきたけど、こんなに立派な方がおられたと思うと、ホント日本の誇りに思う。<BR> 今の日本の政治家、役人、官僚にはぜひ読んでもらいたいと思う。ここに書かれていることがキレイ事で、また真実でなかったとしても見習うべきことは多いと思うし、下手な選挙活動するよりよっぽどマシである。<BR> 税金着服、査察と称して豪華観光旅行、無駄な施設建設、天下り、なんて聞いていて嫌な言葉だろう。代表的悪人なんて本を書いたらこれらの言葉が嫌ってほど出てくるのではないか。。。<BR> しかし、私財を投げしてて民のために使った話などを聞くと、ホント感動を覚える。一体、今の世の中、金、物を手に入れて何を失ったのか。<BR> たまたま日本円が強いだけで、発展途上と呼ばれる国に行ったらちょっといい思いをすることもある。しかし、それらの国で自分を現地の能力に応じた収入にたとえたら、自分の非力さを感じるだろう。ぜひ、発展途上国に行く前には読んでもらいたい。そうでなくても、日常の自己啓発には良い本だと思う。