訳注者の金谷治氏自身が解説で述べているように、本書の意味は、「儒教」というよりは「朱子学」のなかで特別なテキストとされてきた「大学」「中庸」の二書に、朱子以前の古義を追求する読みをした、という点である。単に儒教=朱子学入門として本書を読むならば、島田虔次氏の訳注本(朝日古典選)のほうがよい。評者は島田氏の本を先に読み、その後でこの金谷氏のものを読んだので、朱子の注釈によらないこの本の読みは新鮮で興味深かった。というのは、朱子はこのテクストを、オリジナルな意味を尊重するよりは、自らの哲学体系の構築のために利用しているからである。しかし、江戸期には朱子学が公式の学問として採用されたために、朱熹の読みがむしろ正当の読みとされてきたことは注意すべきだろう。<BR> 「大学」は、天下を治めるためには一身を治めることがすべてである、とする、道徳的政治観を述べた本。「中庸」は、前半が「中庸の徳」を持つことがいかにむずかしいか、後半が「誠」、すなわち「性」に従い修養することの大切さを述べた本である。
本書には『大学』と『中庸』という2つのテキストが収録されている。この2つのテキストは四書と呼ばれる儒教の基本テキストに含まれるものであり、特に『大学』は儒教を学ぶためにまず初めに読むべき本とされていたものである。確かに『大学』は内容的にもまとまっており、このような伝統もうなずけるものである。儒教の考え方を簡潔に知るには非常に適切であると思われる。それに対して『中庸』は四書の最後に位置付けられているテキストであり、かなり難解な議論が展開されている。こちらは多少とっつきにくいだろう。しかし、『中庸』が重要なテキストであるということは言うまでもない。本書の特色はこの2つのテキストが両方とも収録されているところにある。これから儒教を学びたいという人には!大学』を、ある程度儒教を知っている人には『中庸』を是非ともすすめたい。
本書は、『論語』、『孟子』と並んでよんしょと称される『大学』と『中庸』を収めたものだ。原文、書き下し文、現代語約文の3つをそれぞれに対して収めている。『大学』は四書の中でもっともやさしく、『中庸』はもっとも難しい。それゆえ、儒教思想の入り口から出口までを網羅した一冊といえる。