日本の仏教は、一般に「葬式仏教」という不本意なかたちで認識され、ほとんどトホホな状態です。しかし、日本人としてユング心理学の第一人者である河合隼雄氏は『ユング心理学と仏教』のなかで、仏教的な意識が日本人の潜在意識のなかで脈々と息づいていることを示してくれています。この本でも『日本の弓術』は紹介されていますが、仏教をもし本当に理解しようとしたら、教義や知識をいくら学んでもさして意味はなく、「実践」を伴わなければ、その骨髄は移植されません。初期仏教の研究では第一人者の中村元氏も『ブッダの人と思想』のなかで、「実践なき思想はありません、もし実践がなければ思想は空論となってしまうでしょう。仏教ではこれを<戯論(けろん)>といいます」と。<BR>鈴木大拙氏は『禅』のなかで、禅とはブッダの悟りを直接体験する方法だと述べています。この禅の思想が息づく世界が、弓道であり茶道、華道、武道といった芸道です。この芸道のスバラシイ特長は、指導を通して実践として悟りに近い体験を習得できるところでしょう。<BR>著者=オイゲン・ヘリゲル氏のすばらしいところは、ヨーロッパ人でありながら、現代日本ではほとんど忘れ去られた、古来脈々と日本人の潜在意識に流れ続けている、仏教的な意識(禅)を理解したところだと思います。おまけに、弓術を通して日本の歴史上で千年余り続いた武士道についても理解した点です。私たちは、こうした欧米人の真摯な日本理解を通じて、逆に日本的な精神を教えられるのだな~と、シミジミと感じました。そういう意味では新渡戸稲造氏の『武士道』よりも、本書やトム・クルーズ主演の『ラスト・サムライ』のほうが、武士道(日本古来の道を求める者の姿)について、わかりやすく表現されていると感じます。ちなみに私は、日本古来の道を求める姿を、民俗学者の宮本常一氏の『忘れられた日本人』の中に見出すことができました。
日本の武道とは全く縁の無い生活を送っている私が、この本を読むきっかけになったのは、この本の薄さと文字の大きさです(笑)構成は著者による本編・著者の通訳者の手記(?)・訳者の後記の3つから成ります。ドイツの哲学者が弓道を通じての日本の精神世界を理解していく過程も非常に興味深いのですが、ここに描かれる師弟関係・文化交流は一つのドラマとしても面白いので、物語としても楽しめると思います。
私は、武道(剣道)を実際に行っているが、最近の武道はスポーツ化していると思う。本書に書かれているように、武道というものは精神的な勝負であろう。本書のよると、無というのは、無になろうと思ったらそこで、無にならないのである。理解するのは困難であろうが、無我を私も目指していきたいと思う。