江戸期以降の西洋文明の受容にかんして、漢文の読解の問題に遡って考察した、たいへん興味深い対談である。明治期の知識人たちの西洋文明に対する理解が大変的確であったことにも驚くが、翻訳語をつくってゆくことが政治性を伴うということに当時のひとびとも含めて大変に意識的であったことはあらためて注意を払っておいてよい。<BR> 本書の大事な指摘は、あとがきで加藤周一が書いているように、一方的な翻訳は「文化の一方通行」の手段であるということだ。円滑なコミュニケーションのためには、同時に逆翻訳がなされなければならない、という意見は、たとえば土居健一「甘えの構造」の中で、「甘え」に当たることばが西洋語のなかには見当たらない、ということを発見することから話がはじまっていることを考えると、日本を深く知り理解するためにも重要なことだろうと思われる。<BR> また、「翻訳」の問題は、酒井直樹氏があらためて日本文化研究の切り口として取り上げていることも指摘しておきたい。
これを読んで翻訳なくして日本の近代は語れないと思った。。その時代に何が訳されていたのかを知ることで、何が必要とされていたのか、あるいは注目されていたのかを知ることができる。また、様々な知識人の思想、外国との関わりからこれまでの日本の歴史をたどることもできる実に興味深い一冊である。
戦後日本を代表する大知識人の対談です。<BR>それだけで、一読の価値は十分にあります。<P>主に、加藤周一の問いかけに丸山真男が答えるという形を取りますが、<BR>一回一回に知的刺激を受ける内容です。<P>内容と読後に得る充実感は書名の領域をはるかに超えています。