第二次大戦後に戦後復興に必要な労働力としてヨーロッパにおけるムスリム移民、<BR>ヨーロッパで生まれた二世以降については正確な数を把握することは難しいが、<BR>例えば、フランスには500万、ドイツには300万のムスリムがいるらしい。<BR>そのような現状でヨーロッパとイスラームはどのように共生しているのか、<BR>ドイツとオランダとフランスを例として取り上げ、<BR>著者はその現状を報告している。<BR>いまだに宗教の多元主義を受け入れられないドイツ、<BR>多文化主義をとるオランダ、<BR>自由・平等・博愛を掲げるフランス、<BR>いずれの国においても「共生」は決してうまくいっていない。<P>ドイツでは「ドイツにおける規範文化」の損失を恐れ、<BR>その「規範文化」の含意があいまいなまま、<BR>外国人排斥を直接的には唱えないものの、<BR>「ドイツは移民の国ではない」と排他的民族主義が打ち出されている。<P>オランダでは多文化主義のもと、慣用と無関心により、<BR>ムスリムの集団化が進み、<BR>その自然分離が強制隔離に似た状況を生み出し、<BR>テロへの恐怖から、極端な移民排斥を主張する政党が大きな支持を得始めた。<P>フランスでは、パリ郊外のムスリム地区が<BR>疎ましい地区から危険な地区に変化し、<BR>公的空間におけるスカーフ禁止の問題もある。<P>イスラームに忠実に従って生きようとする運動が、<BR>世俗主義や理性を重視する西欧社会の常識と乖離しているため、<BR>ムスリム移民とヨーロッパ社会が対立してしまっているという。<P>普段昔の歴史をやっているからかもしれないが、<BR>現代にダイレクトに関連する話は面白い。<BR>様々な論理があり、興味が尽きない本でした。
人権問題には前進的な欧州。昨今その欧州の間では、イスラームに対して懐疑的な見方が大半を占めている。昨年(2004年)11月には多文化主義を代表とするオランダで、イスラームを批判した画家ゴッホの子孫(映画監督)がイスラム過激派の青年に殺害される、という衝撃的な事件が発生。更に最も記憶に新しい所では、先月(2005年7月)のロンドン同時多発テロが発生した。<P> 確かに報復という行為は如何なる理由があろうとも赦され得るべきものではない。それに対して懐疑的な意見や嫌悪感を持つことは致し方ないことであろう。しかし、自分たちの行ってきた行為を一切顧みず、そこで一方的にイスラームを糾弾することは余りにも浅はかな考え方ではないだろうか。<P> 本書は欧州のそんな傲慢さに疑問を投げ掛ける一著だ。筆者は欧州とイスラームの共生に対して明るい展望を抱いていないが、しかし本書には共生するためのキーワードが随所に描かれている。取って付けた様な言葉だが、やはり相手を理解するには自分を理解することから始めなければならない。少々抽象的だがその科白に集約されるだろう。<P> フィールドワークの賜物である本書の次回作を更に期待したい。
理科系として大学に入学し、その後、フィールドワークを主体に、自然科学から人文科学、社会科学へと学問の歩みを進める著者が、ヨーロッパとイスラームの対立の背景を、新書という限られたページ数の中で事細かに記述しています。<BR>導入を簡単に整理すると、<BR>①ヨーロッパは、その科学発展の原点を、バグダッドを首都とするイスラーム王朝アッバース朝によるキリスト教科学者の保護としていた。<BR>②しかしヨーロッパ人は、もはや神を必要としないし理性と叡智により物事を理解できるとし、合理主義を進め、そして神・教会からの解放を進めていった(啓蒙主義)。<BR>③そして、神をあがめるイスラームのに対し優越感を抱き、差別をするようになっていった<BR>というストーリーのもと、ヨーロッパにおける政教分離(啓蒙主義の大きな結果であろう。著書ではもっと正確に説明される。)と、政教分離下における「宗教」の違いによる差別を、移民問題を絡めてドイツ・オランダ・フランスという主義の異なるヨーロッパ主要各国における現実をフィールドワークを基に語り、ヨーロッパの「誤認」を語っていきます。