私は歴史をふりかえることが嫌いな子でした。<BR>しかし、この本を読み終わって、本当に歴史の重要性を感じる。<P>戦後からの日本政治について、わかりやすくかかれてあります☆<BR>後ろに軽い年表も載っているので、時代を追いやすいですよ。
正直な話であるが 戦後史を扱った本としては この本が小生にとっては初めての本である。何で戦後史を読もうかと思ったかと言うと 話は長くなるが 要は 今の時代を理解したいと思ったら 現代史は不可欠なのではなかろうかという 極めて陳腐な理由である。理由は陳腐でも それなりに勉強になるのではないかと個人的には思っている。<P> ところで本書であるが<P> 随所に著者の意見が出てきて それなりに楽しめるものはあったが やはり60年間を新書で纏めるということの困難さは良く分かった。やはりどうしても「薄く」ならざるを得ない点は確かではあると思う。但し「薄い」と読みやすいというのは コーヒーや ワインと同じでもある。すっと読み終えた。<P> 冒頭の通り 小生は いわば「ど素人」であり その意味では本書は良い水先案内人にはなりえると思っている。この本に出てくる参考文献などを これから時間のあるときに読んでいけば いつかは 自分なりの現代史が築けるのではないかと 「楽観」している。「楽観的」で「何かを学ぶことが継続出来る」なら 年を取る事も楽しい というのは 論語の時代からの真理であると思っている。
著者はいう。<BR>「歴史認識とは自己認識であり、われわれは”どこから来て、今どこ<BR>にいて、これからどこへ向かうか”を知ろうとする意識である。歴史<BR>認識において、過去は単なる過去ではなく、現在に突き刺さった過去<BR>として認識され、それは否応なしに現在を規定する政治・経済・外交<BR>・文化などと密接に関係せざるをえない」<BR> 本書でも引用されるクローチェの言葉ではないが、まさしく「すべ<BR>ての歴史は現代史」なのだ。<BR> 現代の日本社会では、人々の意識から歴史認識がすぽーんと欠落し<BR>ていると私は思う。だからこそ、日本の現代史をそこそこ俯瞰してみ<BR>せてくれる本書はタイムリーな企画だとも思う。とはいえしょせん新<BR>書=小冊子であるこの本にすべてを見いだすのは難しい。しかも現在<BR>と直結した現代史の叙述は常にジャーナリズムとの境界線が曖昧だ。<BR>そう、現代史を書くことは難しいのだ。<BR> 本書でも第3章「戦後」のゆらぎ(1973~1990年)あたりの叙述は、<BR>まさしく現代の混迷がこの時期を端緒とするだけに、なかなか鮮明に<BR>描かれている。しかし次章「戦後」の終焉(1990~2000年)あたりか<BR>らはジャーナリスティックなダイジェストに堕ちていく。終章は今の<BR>政治状況への著者の批判的印象が綴ってあるだけだろう。<BR> とはいえ、なかなか1980年代以降の通史を俯瞰することができな<BR>い我々にとって、本書を通読するのは有意義なことだと思う。問題<BR>はこの本のあとになにを考えるかということだろう。<BR> 本書では戦争がもたらす様々な影響をキーワードとする貫戦史と<BR>いう方法論や20世紀を1930年代の大恐慌期から1990年代の冷戦終<BR>結までとし、それ以降を21世紀システムへの移行期ととらえるなど、<BR>新しいテーマもふんだんに盛り込まれている。これもまた魅力的で<BR>はある。<BR> 最後にこの本を岩波新書の古典的な通史「日本の歴史」「昭和史」<BR>「日本社会の歴史」と同じ地平で論じるべきではないとは思う。も<BR>はや新書というソフトは古典的ロングセラーを生み出す器ではなく<BR>なっている。しかも多様かつ混沌とした現代史を叙述しているのだ<BR>から。<BR> 本書は、歴史的現在を認識するための一助を成す小冊子くらいの気<BR>持ちで読み捨てるべきものだろうし、そう考えればけっこう得がたい<BR>本だとは思う。