あの「共同幻想論」のヒントとなった名著である。<BR> 内容は、遠野出身の人物からの聞き書きである。著者による直接取材でないところに民俗学の開拓者としての柳田の限界があるとは言えるが、方法論に対する批判は批判として、ここに収録された伝承群は遠野という「陸の孤島」に封入された特異なものとしての資料的価値以外にも、文学としての独立した価値を十分持っている。<BR> 吉本のように、ここから何を引き出せるかを考えるのもよし、古きよき日本の民俗に思いを馳せるのもあり、いろいろな読み方があるだろう。
伝説は日本のどこにもあったはずである。何故、遠野が選ばれたのか。 岩手の奥の方は、今でも、違う時代を封入している感がある。明治であれば、江戸時代以前の名残があったであろう。それだけに、伝説が真実味を持って迫って来たことは想像に難くない。 当時の人の天衣無縫な発想を、柳田國男の簡潔にして鮮やかな筆致が伝えてくれる。 私は岩手の出身であるが、ひいき目ではないと思う。 拾遺の中に、三光楼という遊郭に通った男の屋号が三光楼になった、という話がある。普通では考えられないことである。しかし、遠野市出身のあでやかなる女性、三光楼さんは私の憧れの人であった。遠野にも、この珍しい苗字の家は2、3軒しかないということであったが、実在するのである。三光楼さんが言った。「六角牛山に3回雪が降ると遠野の町にも雪が降る」と。通し番号299話までのこの本の、第300話として書き込まれている。
柳田国男が35歳のとき(明治43年、1910年)に発表した衝撃作。もっとも、発表当時は、あまりに内容が異色だったため、世の中からほとんど無視されたらしい。<BR> すなわち、内容は、平地に住む人(平地人)のことではなく、山に住む人(山神山人)のことに終始する。しかし、柳田氏は、これを「目前の出来事」だ、という。そして、「現在の事実」なのだから、それだけで立派な存在理由がある、と。<BR> さらに、「目前の出来事」「現在の事実」にもかかわらず、人の耳に経ることは多くなく、人の口と筆とを倩う(やとう)ことがはなはだわずかだ。「目前の出来事」「現在の事実」を無視しようとするそれらの人々は、「外国に在る人々(献辞)」のようだ。そして、願わくは、それら「外国に在る人々」「平地人」を戦慄せしめよ、と(序文)。<BR> 本書は、遠野物語の他、昭和10年(1935年)に増補版本がだされたおりに追加された「遠野物語拾遺」を、あわせ収録する。