1960年代前半、チェコスロバキアの首都プラハのロシア語学校は、さまざまな国の生徒が(親の)さまざまな政治的事情をかかえて集まり、一種のインターナショナル・スクールだった。ギリシャ、ルーマニア、ユーゴスラビア出身の級友やその家族との思い出話だけでも楽しい。しかし、30年の歳月を経てロシア語通訳の第一人者となった著者は3人との再会を試みる。あくまで個人の視点からの記録ながら、そこには東欧(「中欧」)近代史が凝縮された良質のノンフィクションとなっている。軽いエッセイかなと思って読み始めたが、うれしい大誤算。日本では類書の少ない地域をテーマとしているだけに貴重な情報源にもなりうる。
著者の米原万理さんは、父親の仕事の関係で1960年代にプラハ・ソビエト学校に通っていました。生徒は全員社会主義運動家の師弟で、ヨーロッパを中心に世界各地から集まっていましたが、この本は当時の学校生活、生徒達の日常生活、そしてその子供達がその後どのような変遷をたどったかが、著者自身の生活を含めていきいきと描かれています。生徒達は例外なく自国に対する愛情と憧れを抱いており、それも貧困や混乱状態にある国の子供ほど愛国心が強かったという著者の指摘には、胸が打たれます。<P> 喜び勇んで帰国したものの動乱の中でで命を絶たれた子、祖国に失望して再び外国に脱出した子、理想とあまりにかけ離れた現実の中で懸命にもがいている子。この子供達のその後の人生は、20世紀後半の東ヨーロッパの激動の歴史に重ね合わされます。後年著者が同級生を訪ね歩く場面は、まるで推理小説を読むようなハラハラドキドキと感動が味わえます。何よりも著者の他人を見る目の温かさが、ともすると深刻になりがちなテーマにユーモアと希望を与えています。ソ連崩壊を挟んだ東欧を描く優れたドキュメンタリーとして多くの方に読んで欲しいと思います。
文庫化を待ちわびて、さっそく読んだのですが、単行本がでたときによんでおけばよかった! と思いました。物語として読ませるのはもちろんですが、数十年前の共産圏の暮らしぶりや人々の考え方、その後の変化の様子などがよく描写されていて、勉強になりました。<P>通訳から作家・エッセイストとして明るく剛胆でさばさばしている印象がある米原さんですが、少女時代をのエピソードから素顔をちらと垣間見たような気もします。<P>マリがプラハのソビエト学校で出会った各国の少女たちのその後は、どれも平坦ではないけれども、それぞれたくましく生きていることも感銘を受けるし、そうした彼女たちに曲折を経て再会し、思い出と現実を行き来する著者の姿にも打たれました。<BR>さらに年月が流れ、彼女たちはいまどうしているのだろうと気になります。