現代は情報に溢れている。<BR>昔からある新聞やテレビだけでなく、インターネットなどのおかげで、一般人が入手できる情報は非常に多くなった。<BR>しかし、それだけ便利になった反面、情報を入手・加工・発信するという高度に知的な作業が求められる時代になったとも言える。<BR>しかも、その傾向は強まることはあっても、弱まることはなさそうだ。<P>情報をどのように扱うか?それは人それぞれ違うものであろう。<BR>知的活動や創作活動といわれるものは、元来きわめて個人的な活動である以上、人と同じことをしていても意味がない。<BR>本書の中で「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」と述べられているが、まさにその通りである。<P>では、本書はなんのためにあるのか?<BR>それは、自分の方法論を確立するための参考やきっかけのためであろう。<P>たとえ、本書に書かれていることに納得ができなくても問題はない。<BR>それは、立花隆には最適な方法なのかもしれないが、自分には合わないというだけである。<BR>誰も立花隆と同じことをする必要はないし、する意味もない。<BR>極端なことを言えば、本書の中の都合の良いところだけを自分の活動に取り入れるだけでも十分であろう。納得がいかないところは無視してしまえばいい。<P>ただ、そうはいっても、やはり立花隆の方法は興味深く、読んでいて「なるほど」と思わせられるものも多い。<BR>初版は20年以上前であるが、時代を超えて通用するものがある。<BR>本書の内容をそのまま実行に移す必要はないが、非常に参考になることは間違いないだろう。
古典に属する本なのかもしれませんが、その内容に新鮮な輝きを失わないでいるのは、切り口の斬新さや情報の捉え方の新奇性によるのだと思います。 <BR>知の愉しみや知ることの愉しさ、そしてそのための方法を教えられます。各種情報について、その属性に即した整理整頓の仕方・ヒントを教えてもらえると思います。 July.3 '05<BR> それについても、立花隆の博覧には、いつも凄味を覚えます。
勉強法や方法論について有名な著者の名前を挙げろといわれれば、野口悠紀雄や斉藤孝がまっさきに挙げられるだろう。彼らの功績も大きいのだが、『「知」のソフトウェア』では彼らの本の中ではかかれていないことが書かれている。それは、脳の構造が完全に理解されていないため、インプットとアウトプットの関係が理解されていないとしている点である。そのため、この本の中で書かれていることは立花自身が行っていることを紹介するにとどめるとしている点が正直であり、説得力が増す点だろう。<P>私は知人に勉強法や方法論についての本を紹介してほしいといわれたら、この本は出版されてからかなり時が経過していることを伝えたうえで、必ず紹介する。