本書は三部構成からなる。<BR> 第一部では著者がアメリカで歴史を学び始めるに至る個人史。単なる伝聞記に留まらず、アメリカの学問環境、学会動向にも触れるため、留学案内としての意味もある。<BR> 第二部は著者自身による博士論文以来の研究紹介である。著書の論旨を紹介するに留まらず、なぜその様な研究関心が生まれたかという点についても丁寧に説明されており、若輩ながら歴史研究者を志すものにとっては非常に参考になる。著書の論旨などは今となっては既にほぼ常識とされるものも多いが、それは著者の研究の影響力が大きく、それだけ受け入れられていることの証左であろう。国際関係を相互イメージという視点から見る研究、対外政策の根底にある意識や思想を探る研究、国際関係における文化交流の研究、トランスナショナルな視野への注目。全て著者がパイオニア的存在であるのかは国際関係史・アメリカ外交史の専門家でない評者には分からないが、そうした現在では基本とされるような研究視角の発展に寄与してきたことは事実であろう。<BR> 第三部は第一部、第二部を通して叙述されてきた著者の歴史研究の蓄積から、(紙幅もあり限定されるが)現代の諸問題を見る。政治と学問、日本と隣国の歴史認識、アジア地域秩序、9.11は世界を変えたか、の四点が扱われる。常識的な見解かも知れないが、それが著者の歴史研究の蓄積から導かれた、説得力ある見解であることが分かる。<P> 本書は、以上の構成からも明らかなように、何らかの疑問に対して回答や処方箋を与えるものではない。また筆者が如何に恵まれた生活を経てアメリカで成功し、斯くも大きな業績を打ち立てたことを自慢するものでもない。<BR> タイトル通り、歴史を学ぶということの意味、歴史を学ぶことを通じて何が分かるのかを、具体的に叙述した著作である。抽象的な歴史哲学の本は多くあるが、単なる個人史に留まることなく具体性を以て歴史研究について紹介する本は他に(知ら)ない。小田中直樹氏の「歴史学ってなんだ?」とはまた違った好著である。
正直がっかりでした。<BR>「なぜ歴史を学ぶのかなどについて、私なりの見方を回想風につづったもの」(P218)ということですが、<BR>歴史の学び方についてはありきたりの内容ですし、回想としても平板です。<BR>E.H.カーの名著『歴史とは何か』のように、歴史の活用方法を現代的課題に照らして示してくれることを期待していたのですが、<BR>学者としての生き方に大して興味のない私には、全く役に立ちませんでした。<BR>方法論を求めすぎているのかもしれませんが、戦後60年経って日米関係や中国・韓国とのつきあい方など、<BR>今ほど処方箋が必要とされている時期もないと思うのですが・・・
留学の経緯や研究者としての経歴など、自伝的な内容をもつ第1部が興味深い。けれども、自身の歴史観を語る第3部が全然ダメである。国家間の文化的交流が大事だとか、偏狭なナショナリズムはけしからんとか、誰もが語り誰もが反論しない、至極ごもっともな主張が並ぶのだが、記述がうすい分だけ著者独自の論理が分からないまま。かといって、第1部が満足行くものかといえばそうでもなく、第3部から遡って読むと単なる自慢話にも読めてしまう。著名な学者へのガイドとして意味はあるかもしれないが、その著作それ自体を読もうという気を起させるものでない。これまでの研究が立派なものであるだけに、残念。面白そうな企画はできたが、偉い学者には注文が付けられなかったのだろうか、と変な想像もしてしまう。