本書は、「机上の学問・観念の遊戯」としての「哲」学者ではなく、他人と血みどろの対話を通して哲学を実践する「哲学」者への誘いである。5年前、初めて筆者の著作に触れた瞬間の衝撃は未だに色あせない。
著者 中島 義道 氏は 哲学をする人として よく知られている。そして、その業界では 哲学者を哲学者研究者として批判する人としても 知られている。<P>さて、この本であるが、氏の 出世作として有名である。なるほど、ご自身の素朴な苦悩を元に 氏の哲学が とつとつと語られている。哲学の教科書という題名にとらわれて、巷によくある西洋哲学者羅列集を期待すると、この本は それとは恐ろしく違ったものであるが、時間をかけてよく読むと、自分で考えることの大切さが良く伝わってくる本である。<P>IT革命などと言われ、その大きな時流にサーフィンのごとく乗っていないと時代遅れになるのではないかと感じられる時代であるが、一方で、それらの多くは中身の無い情報のかき集めに過ぎないとも感じられる。 そういう時代の中で、自分は物事をどう考えるかと言う いつの時代にも普遍的に大切なことを この本は教えてくれていると思う。<P>版数が多い所を見ると、この手の本としては、たいへん良く売れたのであろう。文庫化すれば また広く読まれる1冊だと思われる。
哲学とはいかなる営為か。それは決してアリストテレスがかく考え、ニーチェがかく考え、ヴィトゲンシュタインはかく考えた、などということを知るものではない。哲学とは、自己の、切実なる真理を希求する思いから発するものである。自分の頭で考え抜かねばその目的は達せられない。<P>巷に様々な哲学者の思想を解説した本は溢れているが、本当の哲学の方法論を示すものは稀有であった。本書はその稀有なものの中の白眉であろう。<P>本書はまず「哲学とは何ではないか」という問いからスタートする。哲学とは思想ではないし、芸術でもなければ、人生論でもない。これを丁寧に我々に示してくれる。その上で著者は様々な哲学上の問題を提示する。ここがまた素晴らしい。読者は、著者と共にそれらの問題点を考えさせられることになるが、このトレーニングによって読者は哲学という営為を具体的にわかることができるのである。<P>本書の魅力はこれだけに終わらない。哲学に少し触れた者なら一度は疑問に思うであろう「哲学書はなぜ難しいのか」という問いに、カントの『純粋理性批判』の一節の解釈を我々に示しながら答えてくれる。思わず膝を打つほどの見事な「模範演技」であった。<P>本書は、哲学の本質を極めて平易に我々に明らかにするものである。本書を読んだ後、哲学に対する見方はがらりと変わるであろう。フッサールは、彼の70歳の誕生日の祝賀会でこう述べたという。<BR>「私は哲学しなければならなかったのです。そうしなければ私はこの世界で生きることができなかったのです。」(『デカルト的省察』(浜渦辰二訳、岩波文庫)の訳者あとがきより)<P>哲学は確かに「役に立たない」ものであるが、生きていくためにはどうしても必要なものである。とりわけ、変化の激しいこの時代において他者に流されることのない確固たる自己を持つためには、哲学を「している」(「知っている」ではなく)ことがどれだけ大切になってくることか。多くの方々が本書を読んで哲学を始められることを願って止まない。