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菊と刀―日本文化の型 ( ルース ベネディクト Ruth Benedict 長谷川 松治 )

 本書が、あの中国でのデモの前後で2種類の中国語の翻訳で出発されたという。売れ行きも好調らしく、靖国参拝問題などで揺れる日中関係の中で、どのような読まれ方がされているのか、気になる所ではある。<P> 本書の著された年代は1946年、つまり戦争が終わった翌年という事になり、その内容も戦争に関連したものが多く目についた。義理や人情、恥、といった言葉で表現されている当時の日本文化の様子は、現在と全く違うとはいえ、根底にあるものは同じという立場に立つと、優れた日本研究の一つである事は疑い得ない。<P> しかし、これが現代において読まれ、中国語などに翻訳されて各国で読まれている事も考えると、私は安易に参考に出来ない。所詮、一つの国の文化を一つの書籍にまとめあげるという行為は無理である。文化を言葉にするという事自体無理なのかもしれない。勘違いしてほしくないのは文化人類学とかベネディクトとかの主張を否定しているのではないという事。<BR> あくまで、本書は「戦後または戦前の一定期間における日本文化の一側面」として読まれるべきであり、その域は出てはならないのではないだろうか。<P> 安易に本書を引用・参考にして「日本は恥の文化であるから~」などの主張は絶対に避けるべきである。<BR> そう考えた時に、現代において本書の文化的意義はあまり高くないように思われる。優れてはいるが、文化的意義は低い。一見矛盾しているようではあるが、私はそう感じる。<P> 中国や諸外国で誤った、固定された日本人像が形成されない事を祈る。

 この『菊と刀』講談社学術文庫版は、1967年に社会思想社から出版された『定訳菊と刀』を、付録を含めて、そのまま再現したものです。付録である川島武宜の「評価と批評」については『思想』の522号(1967年)で鈴木満男から手きびしい批判を受け、現代教養文庫版では外されていたのですが、講談社はそれを復活させました。なぜそんなことをしたのか、理解に苦しみます。

長らく再版が止まっていた本書が、このたび復刊されました。装丁等を除けば、中身に違いはありません。<BR>著者のルース・ベネディクトは本書において、日本文化や日本人の行動をいくつかの「型」あてはめて考察しています。彼女の指摘は鋭く、現在においても通用するものもあります。本書は日本人自身の自己認識形成に少なからず影響を及ぼしたといわれており、それゆえに第一級の日本人論と見なされてきました。<BR>本書に対する代表的な批判は、同じ米国人のダグラス・ラミスによって行われています。(彼はベネディクトの「文化の型」にあてはめるというやり方を「日本文化への墓碑銘」だといって批判しています。詳しくは、ダグラス・ラミス『内なる外国』をご参照ください。併せて読めば、きっと理解が深まるはずです。)<BR>やはり、ベネディクトが一度の来日経験もなくしてこれだけのものを著した事実は驚嘆に値します。<BR>とにかく、復刊により本書が再び求めやすくなったのは喜ぶべきことでしょう。

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