医師であっても、病気にはなる。脳が壊れることもある。<BR>壊れた脳は、彼女に様々な不都合を与える。できるはずのことができない。わかるはずなのにわからない…。屈辱と焦燥にあえぐ日々。<BR>だが、彼女は医師だった。自分の身に起こったことの理由を、科学的に理解し、一マス一マス塗りつぶすように、障害による困難を解消していく。<P>その経過を克明に記録し、医療の現場と社会への提言をもこめた渾身の著。<BR>貴重な医学書であると同時に、読み物としても超一級と言えよう。<BR>常人よりも高い知が、まさにそこに生存していることをうかがわせる。
自分がこんな状態なら、怖くて、生活できないと思う。脳が病んでも、知能、心は、壊れていない。自分のおかれている状況を、的確に判断し、残っている力を最大限利用する。著者自身が、医者であり、冷静に、自分を見つめる力が、あるからか?<BR>壊れていくのが、わかるのってどんな気分なのか?<P>高次脳機能障害。一見むちゃくちゃな行動にも、それなりの意味があり、本人が明晰、客観的に観察しているが、医者だから出来る事。<P>著者のすごいパワーと言うか、エネルギーを感じます。<P>この類の本で、患者の側から、書いてあるので、一度読んでみて。
再度にわたる脳出血、脳梗塞をわずらい後遺症として高次脳機能障害を負った女医さんの手記というか闘病誌、いや医師ゆえの疾患、障害を冷静に客観的に、内面から記述する記録といったところだろうか。<P> 私自身、リハビリテーションの現場で脳梗塞、脳出血後の後遺症がある人たちと毎日のように関わって10年が過ぎ、上司の先生から本書を薦められた。高次脳機能障害を負った人たちの症状は彼らの訴えをはじめ、障害として検査をしたりして鑑別をし確認できたり、病院内での行動、生活の様子でとらえることが多かった。本書を読み、障害を負った人たちの苦悩に自分が誠実に傾聴してきたか疑問を感じた。著者は障害を負った後、ペーパードライバーのコースで、クランクはうまく出来るが直線コースが難しい、その理由なども述べられている。そんなことがあるのか、と知らなかった自分を恥じた。 <P> とはいうものの本書の「おわりに」を読でいるところで涙がこぼれた。知らないうちに顔が熱くほてっていたのに気づいた。本書の内容は、解説で山鳥先生が「重篤な右頭頂葉障害患者さんの貴重な手記」とされている。高次脳機能障害の障害、空間性認知、記憶、言語、注意の障害が障害を負った人の内面から描かれ、自ら医師ゆえの分析もされ、生々しく伝わってくる。<P> と、同時に彼女の生きる姿勢が読み進むうちにこちらもリアルに伝わってくる。行間からはさらけ出される彼女の苦悩も伝わってくる。正直に吐露されていたりする。一方で、前向きに人生を肯定的にとらえようと努力され高次脳機能障害のリハビリテーション、医師としての復職、子育てとエネルギッシュな方だ。また息子さんとのやりとりも、母である彼女の思いを知るとほろっとした。彼女の生きる姿勢に尊敬の念を抱かずにいれない。