本書はロボットにおける知能研究における世界的な権威たちの研究を紹介する章とともに,討論会形式の章から,彼らの率直な考え方に触れることが出来るすばらしい本です.<P>たしかにここ数年で,機械を使って人間の形を作る研究は進んできました.しかし人々の期待とは裏腹に,その機械を動かす知能はまだまだ人間の赤ん坊とすら比較にならないくらい貧相なものです.<P>筆者らの討論を読むと,筆者らにおいても考えを異にする部分が多く,この分野の研究はまだまだ始まったばかりで,無数の可能性が秘められているということを感じずにはいられません.<P>文章は難解で,工学的な知識のみならず,哲学や機械学習理論などについての知見も若干必要です(筆者は説明を試みていますが・・・)しかしこの本を読むことによって,ロボットが「歩く」「踊る」から先に進めないのかが感じられると思います.
本書は知能に関する本なので、一見興味深そうであるが、一般読者には難しくて理解できない。著者らは知能研究にロボット研究を強調しすぎている。著者らはロボットを研究することが人間の脳の研究に結びつくかのような事を言っているが、専門馬鹿の者はしょせんロボットと人間の区別がついていない。日本のロボット研究は進んでいるかのように思われているが、年数億から数十億の税金をかけているわりには不十分な成果である。ロボット研究は金があればある程度は進むが、国から研究費を得るのがうまい研究者=業績のある研究者と勘違いしてはならない。
立ったり座ったりするからこそ、高い低いを考えることができる。キョロキョロまわりを見るからこそ、空の青さや夜の暗さもわかる。こんな身体と脳の関係と同じように、機械のカラダとアタマは切っても切れない。こうした「身体あってナンボ」のことを身体性というそうだ。<P> この本では、その身体を備えたロボットがテーマ。中でも、自分で考えて行動する「自律型ロボット」の話が中心。よって話は深い。自分の知能や意思で動くロボットを作るには、「自分とは」「知能とは」「意思とは」と、考えなおしていく必要があるからだ。「杖さばきに慣れた老人の杖は、老人の身体の一部かどうか」といった、考えるときりのないような問題がロボット作りに当てはまる。つまりロボット作りとは、哲学的問題を科学的にアプローチして答えを出していく作業だったのだ!<P> 瀬名氏以外の著者はみな研究者で、お話はけっこう難しめ。中には、チェスのコンピュータ「ディープ・ブルー」の話から始めて、『ファウスト』の人造人間「ホムンクルス」に結びつけるという、美しい章もある。が、本全体では読むのがたいへんなところも少しあるかも。でも、もっとも進んだ技術の話を、研究者自身から聞けるのだから、マイナスを補って余りあると思います。