読むきっかけは文庫版高村薫「マークスの山」だった。その扉に「故鍬本実敏に捧げる」とあったからだ。鍬本って誰だ。世のいろんな推理小説家がその人の話を聞いて物語を書いているらしい。「警視庁のコンピューター」と異名をとっているらしい。そこから推測したのは、警視庁のキャリアによくあるインテリ臭さである。しかし読むとぜんぜん違った。文庫本になるとき、異例ともいえる巻末四人によるエッセイ(解説)がついた。人望の厚さを示す出来事である。四人とも会ってみると事前の予想と違っていたといっているところが面白い。鍬本氏は、切れ味を奥に潜めて義理人情を大事にする人格者なのだ。<P>「やっぱり私は人間というのは、後ろから声をかけられる人間になりたいですな。前から見て横道に逃げ㡊??れる人間じゃ、ね。」<BR>「ローマ人への手紙五章第三節には『患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出しす。その希望は絶対失望に終ることはない』とある。やはり刑事にぴったり」人柄を偲ばせる言葉ではある。<P>高村薫に「凄みがあった」といわせ、彼女はやがて合田雄一郎を生み出す。宮部みゆきは「どちらも可哀想だね。殺された人も、殺した人も。」という鍬本氏の言葉を『宿題』として咀嚼していく。彼女たちは鍬本氏に「警視庁刑事」を見たのではなく、「人間」を見たのである。
警察内部のあれやこれやを書いた本は今や浜の真砂ほどあるが、これほどリアリティあふれるものは数少ない。学歴差別、ぼんくらキャリアの横暴、仕事の手順、犯罪捜査の実際、捕縛した容疑者達の奇妙な生態等々を著者があけすけに語り、読む者を最後まで飽きさせない。「トーマスの山」でも警察内部の雰囲気が如実に感じられたが、本書はそれにさらに肉をつけた感じで、警察を知るための第一級の資料と言うべきである。続編を切に希望する。