本書は、医学生として日々を送っていた山田誠也青年(後の作家、山田風太郎)、24歳が記した昭和20年の日記である。<P>日本が連日連夜、米国のB29の空襲にさらされるようになった頃から、8月15日の終戦、その後の米軍進駐当時の世相が、一青年の冷徹な眼差しによって活写されていく。政府や軍の上層部の言動を憂え、日本の行く末を案じ、民衆の戦争に翻弄される様子に危機感を覚える山田誠也青年。<P>戦争の渦中にありながら、時代を、そして日本という国を鋭く見据えた記録に唸った。「人間心理の洞察などは、さすがに深い」と舌を巻き、時には畏怖さえ覚えた。<P>殊に1月~8月、終戦にかけての熱気がたぎるような記述が凄い。<P>空襲に脅かされながら、毎日これだけの記録を書きとめ、一日一冊ペースで本を読んでいる。その上、学校で医学の講義も受けているのだ。<BR>若いとはいえ、当時の食糧事情で、これほどのパワーが一体どこから生まれてくるのだろう。後年の山風忍法帖にみなぎる圧倒的な筆力の源を、ここに垣間見たような気持ちにもなった。<P>最後に、思わず目頭が熱くなった文章をひとつ、引用させていただきたい。昭和20年3月10日、東京大空襲の日の記述である。<BR><< 焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで、「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」と、呟いたのが聞えた。自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。>>
劇的な体験をした人の記録がすべておもしろいかというとそうではない。<BR>やはり文章力がない素人が書くと出来がいまひとつになってしまう。そこが、史料の限界である。<P>が、それをクリアしているのが本書だ。のちに天才作家・山田風太郎となる山田誠也青年の文章力は若き情熱に溢れながら、的確に戦時下の日本庶民生活を記す。史料としても貴重であり、フィクションとしてもおもしろい。<P>また、山田風太郎作品の底に流れる無常観の形成を読み取ることができるうえでも重要である。「大義親を滅す」を繰り返し描く作品群の原点ともいえるのが本書なのだ。
皇族、侍従や政府要人、軍人、作家、文化人、芸能人など、十指に余る大東亜戦争の戦中日記を読んできた。確かに政府要人や軍人の手になる日記には一般人には知り得ない内容が記されており、歴史の証言として貴重である。ただそこから踏み込んで、日記本来の持つ力について考えてみると、私のナンバーワンは、当時一学徒にすぎなかった山田風太郎の日記にとどめをさす。戦争についての洞察、戦時中の市井人たちはいかに考え、行動したか…。単なる記録にとどまらず、日本人の公約数的な考えが集約されている気がするし、なによりここにはインテリの日記にありがちな諦念や後付けのもっともらしい自己合理的な論理も存在しない。<P>あの戦争が風化しようとする今こそ、非常に古くさい言い方だが、全国民必読㡊??書であると考える。