この本のテーマは”生き方”だと思う。<BR>全く誠実でいようとすれば、主人公の周りの人達のように、行き詰まり、行き場が無くなって、結局は死を選ぶしかないのかもしれない。<BR>主人公は話の後半になって目だって嘘をつくようになる。<BR>それは彼が結局は誠実であることよりも生きることを選んだからだと思う。<BR>永沢、緑、特攻隊、色んな人の生き方を見ながら、私も同年代の主人公と一緒に、自分がこれから生きていかなければならないことを考えた。
高校生の時はじめて読んで、その後なぜか何度も読みたくなり、<BR>かなり読み返しました。<P>自分よりもちょっと年上の世代の人物たちの織り成す人間模様。<BR>はじめて知った、「自慰行為」の意味。<BR>なまなましい性欲と純粋な愛情。<P>一見理想の女性のような、聡明で純粋、誠実な直子。<BR>あまりに聡明で純粋ゆえに、自分の中の矛盾や汚れを許せず死を選んでしまう。<P>対して、自由奔放で下品な言葉を話したり、いい加減に見える同級生緑。<BR>彼女は、決して恵まれた環境で育ったわけではないが、必死にいきている。<BR>そう「生きている」。単純に女性として比較すれば美しい直子とは比べ物にならないかのような緑だが、<BR>直子と違うのは、嘘も情けなさもせつなさも悲しさも・・・<BR>なまなましい性欲も含めて彼女はすべてを肯定して、「生きている」。<P>最後に、主人公は緑と結ばれるが、なぜかすごく納得したのでした。<BR>「人間は生きているのだ。嘘も穢れもすべて生きている証」だと。<P>生きていることの生々しさ、性のせつなさ、暖かさを、理屈ではなくリアルに、<BR>切なく描かれたこの書を30代半ばになった今でもふと思い出すことがあります。。。
この小説は私が今まで人生で読んだ小説の中で一番私に影響を及ぼしそうだ。私はこの小説を、今一番理解しようと想っている人から借りて読んだ。私は自分で改めてこの小説を購入し、ずっと部屋の本棚に並べておいて、時折手にとっては読み返すだろう。ワタナベ君が「グレート・ギャツビイ」を繰り返し読み返すように。私は来年二十歳になる。ちょうど小説の登場人物らと同年代だからということもあるだろう、ここに書かれていることは、スポンジに水が浸透していくように私の中に吸収されていった。人の想いにはいろいろな形があるのだということ。ただただひたすら待つのも、衝動的な欲求や渇きを癒すために誰かに頼ったりするのも、ひとつの形なんだと思う。10代のうちにこの小説に出会うことができて本当に良かったと思っている。