~網野さんの書いた本で読むべき本を三つだけあげろと言われたら、いろいろ迷ったすえ「蒙古襲来」、「無縁・公界・楽」と「異形の王権」の三冊になるのでしょう。また、ひとつだけ選べということだったら、私なら「無縁・公界・楽」をあげます。(「『日本』とは何か」という本も捨て難いのですが・・・)<P>で、網野さんの著書のなかでは比較的読物として書か~~れている「蒙古襲来」は別として「無縁・公界・楽」と「異形の王権」は論文だから決して読みやすい本とは言えません。そこで本書の登場です。網野さんの義理の甥っ子である中沢さんによって網野さんの考えていた(と中沢さんが理解した)ことが平易な言葉で説明されています。ですから、網野さんの思想の解説書、入門書として最適です。<P>また、網野-中沢フ~~ァミリー(ゴッドファーザーのファミリーではありません/笑い)の裏話もいろいろとでてきますので、それもお楽しみです。この祖父とこの父(とお父さんの兄弟たち)、そしてこの叔父がいて現在の中沢さんという存在があるのだな、ということがよく分かります。特にお父さんの生き方は面白かった。彼こそ根源的な自由の体現者かな、とおもいました。~
網野さんのことより、中沢さんがどのように育ち、その思想を育んできたのかがわかっておもしろい本だった。
網野善彦さんは、中沢新一さんの叔母さん(父の妹の真知子さん)と結婚することによって、中沢家に出入りするようになったわけだが、その偶然によって、クリスチャンから共産党員へという、第二次世界大戦後に確かにあった良心の遍歴の典型であったような一家との交流を重ねていく。さらには、それよって中沢新一さんとの40年以上にわたる「人類学で言うところの『叔父-甥』のあいだに形成されるべき、典型的な『冗談関係』を取り結ぶことにもなった。この関係の中からは、権威の押し付けや義務や強制は発生しにくいというのが、人類学の法則だ。そして精神の自由なつながりの中から、重要な価値の伝達されることがしばしばおこる」(p.14)関係も始ったわけだ。<P> 中沢さんも、ずうずうしいとは断りながらも、同じ「叔父-甥」関係であるデュルケームとモースになぞらえながら「その友愛のいかに深く、いかに得がたいものであったかを、このようしてその叔父を失った今、空の青さのように痛感する」(pp.14-15)と書いている。<P> この本を読むと中沢家と網野さんは、実に三代にわたって、濃密なコラボーレーションを積み重ねるのだが、その中でも重要なのは、網野さんの出世作となったというより、日本史研究の転換点となるかもしれない『蒙古襲来』を執筆する重要なキッカケを得ることになる父・中沢厚さんとの会話だ。それは「飛礫(つぶて=投石)の再発見」。<P> 父・厚さんは全学連が機動隊に向かって投げた飛礫「奥深く人間の原始そのものにつながっている」と直感。紆余曲折はあるものの、それが『蒙古襲来』の前書きにつながっていく、というところには感動した。