旧ユーゴスラビアの内戦ではセルビアは常に悪者であった。<BR>それはクロアチアが情報戦争に勝利し、セルビアに悪のレッテルを貼り付ける事に成功したからであるということは今ではよく知られている。<BR>クロアチアとセルビアの内戦が終わった後もセルビアの悪のレッテルは貼られたままである。そして、コソボの内乱。支配者であったセルビアと解放を求めるコソボのアルバニア人。悪であったセルビアがさらなる悪となり、コソボのアルバニア人が英雄となるにはさほどの時間はかからなかった。<P>著者はセルビア側、アルバニア側それぞれの対象に直に調査し、自分の目で現状を見つめ、どちらにも肩入れする事のない中立的な視点からこの書を書き上げた。「セルビアも被害者だ」と声高に主張するだけではお互いの罪状を相殺するだけの結果となる。KLAがマフィアと深い関係にあった事やセルビア人もアルバニア人もそれぞれ虐殺を行った事なども広く知られるようになった現在でも、アルバニア人はなぜか正義の側にある。それは内乱に至った経緯やNATOとの関係など複雑な情勢のなかで作り上げあられたものである。<P>よく取材し、また対象に幻惑されることなく、コソボを巡る現状を淡々とした筆致で記している。付け加えるとすれば、旧ユーゴスラビアの歴史的な事実への考察と論及が少ないところか。アルバニアがユーゴと別れて独立した事や、ユーゴとアルバニアがそれぞれ独自路線を採った事、クロアチア人であったチトーとセルビア人との連邦内における関係などもコソボの歴史的経緯や現状に大きく関わっている。そもそもなぜコソボがユーゴスラビアでそのように位置にあったのかということへの論及がなければなかなかセルビア人との関係が理解しづらいのではいかと気になった。
ユーゴスラビアは、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と称される奇跡の連邦国であった。チトーという偉大な指導者を失えば、過去の民族紛争が蒸し返されるのは必然であった。<BR> だが、どの民族がどの民族を迫害しているのか、複雑すぎてわからなかった。ただ、民族浄化という美しそうな言葉で陰惨なことが続いている気配はあった。<BR> NATOの空爆が、必ずしも国際正義の観点から行われたのではないということが、本書を読むと良くわかる。そして、セルビア人の苦境が深刻なことを知った。<BR> 過去を嘆いても仕方ないが、ミロシェビッチは、民族を率いるリーダーとしてはあまりに狭量だった。
今のコソボやその周辺地域を知ることの出来る、すばらしいルポルタージュです。<P> 聞きなれない固有名詞は多数出てきますが、あまり気にしないようにすれば、基本的に非常に読みやすいです。しかも様々な視点から、そこに住む人々の様子や考え方を伝えています。<P> 批判はするけど「じゃあどうすればいいのか?」という問題には答えていないところなど、不満はあります(だから星は-1)が、丹念に取材しているため、コソボの現在を知るための格好の書です。