読んでいて何故か、往年のヒゲダンスを思い出しました。例えるならば、森巣氏が野放図なほど豪快に果物を放り投げ、それを森氏がシャープにぷすっと刺す感じ。非常に息の合った軽妙なテンポで対談は進みます。抽象的なテーマとして目新しいものはありませんが、テレビ局や新聞社の妙な組織原理、質問をしない(できない)ことで責任を回避しつつ権力/世論と迎合する姿勢、批判を極度に恐れる一方で転んだ連中はさらに蹴飛ばすと言う報道の方向、といった問題を多くの実例に基づいて斬る様は壮観です。小人プロレスからオウム信者、石原都知事からイラク問題までの多種多様なネタを提示しつつ、最初から最後まで、これでもかというほどに挑発的な掛け合いの連続。日本メディアの「ご臨終」ぶりが天竺で頂いた有難いお経のように深く心に染み、かつ笑えます。<P> しかし一方でこの対談が、それぞれ違った意味で日本社会の境界線を「越境」せざるを得なかった両氏の直接的な経験=日本社会全体への違和感に依拠している、ということも忘れてはいけないでしょう。そこを読み違えたままだと、それこそ「お馬鹿な」メディアが叩かれている様を嘲笑うことで「まともな」自分を癒す、という(森/森巣氏の意図からすれば大間違いな)内ゲバ的な読み方をしてしまうことになります。最終的に笑うか考え込むか、また批判するかはともかくとして、読者自身もひっくるめた今の日本の社会とメディアがまるごと、「外側」からはどのように見えているのか。それを押さえるための一助として読んで損はないと思います。実際、真面目に考え始めたら到底洒落では済まされないような話ばかりですし。<P> それにしても、その洒落にならない話題をここまでエンターテインメント化できる両氏の手腕には脱帽ですょ。<P> あと個人的には、「タマちゃんを食べる会」を命名した朝日記者氏にも一票。
二人の主張には若干の相違があり、森巣氏は国家権力によりコントロールされるメディアにおいて、森氏はメディアと社会との共犯関係においてメディアの「ご臨終」の様を見出しているようである。どちらが正しいというわけではなく、国家権力と社会の狭間にあるメディアの問題を捉える際のアプローチの差なのであろう。<BR> 二人の問題意識や主張それ自体は新しいものではないが、だからといってこういった問題意識や主張が現代において重要ではなくなったということではない。それは本書で取り上げられている問題群が示している。<BR> 国家権力・社会・メディアの関係に孕む問題におけるいわば永遠のテーマを、現代的なイシューとの関連で知ることのできる入門書としてとりあえず読んでみる価値はある。
ジャーナリズムというものは、単に今起こっている事象を垂れ流すことではなく、<BR>その事象(特に時の権威、権力)に対し「それで良いのか?」「なんかおかしくないか?」<BR>と疑問を投げかけることであるというのは正しい認識だと思う。<BR>以下の他の方々のレビューのように、1冊の本の評価が5つ星から1つ星まである状態が正常なのだ。<BR>星なんかつけようもない現在のメディア(特にテレビ報道)と評価しようとすらもしない「思考停止」した大衆に対し、<BR>疑問を投げかけるという意味では、正しい姿勢だと思う。<BR>個人的にはこんなのちっとも左翼本じゃないと思うけど。<P>私の感想としては、賛同できる部分半分、異論・反論半分で星3つです。