他の所は別として、東照宮の所を見てがっかりした。<BR>近年では東照宮に対する研究が進んで、従来の見方が改められつつある。いくつも重要な研究が出ており、それらは『週刊ポスト』連載前に見ることができたはずだ(三崎良周、菅原信海、曽根原理、高藤晴俊氏等の研究)。そうしたものを見ていれば、幕府が如何なるイデオロギーを以て天下を支配したのか、また徳川の支配がどのように受け止められたかが解った筈だ。<BR>信長が神になった等という怪しい説に執着する一方で、実際に神になった家康についての記事の貧弱さは御粗末である(前巻の秀吉の場合もそうだが)。東照宮が如何なる教義の下に創建されたのか、という極めて重要な問題が、蔑ろにされている。概してこのシリーズは宗教に関して言えば、初めの大言壮語とは裏腹に無関心であり、レベルが低い。
挑発的な物言いから、トンデモ本ともとられかねない危うさを持ってはいますが、実は歴史の新潮流を一般向けに叙述した本という言い方もできると思います。歴史の新しい見方を広く提示した功績はもっと認められていいと思うのですが。
『逆説の日本史』シリーズは、93年の刊行以来今年で12巻目を数え、いよいよ世界史的には独得の時代といえる「近世」に突入した。<BR> このシリーズは全て通読しているけれども、私が抱懐していた日本史上の「謎」にも、「なるほど」と思わせる推理や解釈を開陳してくれている。<BR> 例えばこの度では、「水戸学」は幕末における倒幕派の有力な論拠となったのであるが、何故、親藩である水戸藩が「大日本史」の編纂を行ったのか、あるいは何故、将軍後嗣に慶喜を除き宮(摂)家の血筋を引く者がいなかったのか、などなどの素朴な疑問に関して一定の解答を与えてくれている。<BR> 著者・井沢元彦氏の歴史観の特色と着眼は、第1巻の序論で3点述べられており敷衍しないが、何と言っても「その時代の目線(思考)」で出来事を解き明かしてきている、ということだろう。そして最大のポイントは、ある特定の時代を‘輪切り’にして評するのではなく、日本人の意識や時間の「連続性」の中で、「逆説」ではない日本「正史」を論じてきていることだ。<BR> このスタンスは、従来の恣意的イデオロギー的な歴史解釈や、「連続性」を無視した「たこつぼ型」解説に対し強烈なアンチテーゼを示しているとともに、必然的に日本という国の「国柄」をも浮き彫りにさせている。<BR> さらに来年以降の発刊が楽しみなシリーズである。<BR> なお、最後に蛇足だが、本書P101の「関ヶ原本戦図」の凡例表示に誤りがあるので指摘しておきたい。