「聖徳太子編」から「平城京と奈良の大仏編」まで。<P>聖と徳があったから聖徳太子と“おくりな”されたのではない、というのは衝撃的なことですが、生前の業績がどう変わるのか、というのが提示されなかったので、尻切れトンボな印象でした。<P>「日のいづる処の天子~」が中国に対して挑戦的(無礼極まりない)外交オンチの手紙であることは良く分かりましたし、供養する子孫がいないと偉そうな“おくりな”になる、というのも分かりました。<P>個人的には、なぜ政治を“まつりごと”と読むのか長年不思議だったが、それがスッキリしたのが良かったです。<P>この巻はほぼ怨霊信仰についての記述なので、先に3~5巻を読んでしまっている私には、少々くどく感じてしまいました。<BR>ちゃんと順番に読んでいればそんなことはないのでしょうが。
この巻は、僕が1番好きで1番興奮した巻です。まず、聖徳太子から始まりますが、ここでも作者は、怨霊をキーワードに、驚愕的な推理を展開してくれます。未読の方がいると思うので、内容は略。とりわけ徳の字を、おくりなに持つ天皇の考察には、いたく感心しました。どう考えても、作者の言うとおりだと思います。また、天智天皇、天武天皇の謎、持統天皇の名前の謎、天皇家の菩提寺(昔は、当然仏教徒だった)に隠された驚愕の事実など、作者が次から次へと開示してくれる、ワクワクする事実にハマってしまいました。他の方の書評にあるように、確かにモヤモヤ感はありますが、僕はそれが全く気にならない程、大きな興奮を覚え、このシリーズを終わるまで買うことを決心しました。将来この辺りの史実、教書記述が変わってしまうかもしれませんよ。
聖徳太子に関しては、「徳」の付く歴代天皇の生涯を引き合いに出したり、さまざまな角度から検証を重ね、非常に読み応えのある内容だった。惜しむらくは、明確な結論を著者が導けなかったことであろう。そこまでやって欲しかった。一方、天武天皇出生の謎に就いても、同様のモヤモヤ感を覚えた。<P>同じテーマでの続編を待ちたい。