考えてみれば、従来の画集は、意図的に縮小されたもの。でも、絵画を鑑賞する楽しみ方はひとつとは限らない。傑作を原寸で見る。この行為には、画家の創作に立ち会うような面白さがあると思う。<P>たとえば、今まさにゴッホが『星月夜』を描いているとする。カンバスのすぐ前には猛烈なスピードで筆を運ぶゴッホがいて、その向こうにはチューブから絞り出された生の色が蠢動している。息が詰まりそうなアトリエの匂い、ゴッホの荒い呼吸。絵具の盛り上がりそのものをマチエールとした激しいタッチに圧倒される原寸の『星月夜』を見つめていると、まるで制作現場に引きずり込まれたような生々しい感覚をおぼえる。<P>個人的には『モナリザ』のオリジナルサイズの唇に触れられたことが最もスリリング。この刺激的な体験を、ボッティチェリ、ミケランジェロからルオー、ワイエスまで33の名画で享楽できるのだから、この本はまったく画期的。細部に施した画家のこだわりや、縮小では識別できない色彩と筆致の魔術など、原寸でなければ見えてこない感動は、手に取る人の数だけあるはず。<P>世界各地の美術館から協力を得るために奔走し、作品ごとに原寸体験の手引きとなる洞察と見識に満ちた文章を記し、世界最高水準の印刷で原画を再現する。これらの難業に取り組み完遂した著者に拍手を送りたい。
名画を「実物大」に切り取った画集。間近で見られる機会はなかなかないし、そもそも絵の大きさについて実感する機会もないので、新鮮な驚きがある。ところで、「最後の晩餐」がこれほど傷んでいるとはショック。早く見に行かないと、崩壊してしまいそう。
普通の画集って、絵を遠くから見てる印象があって、画家の絵筆のタッチまでよく分からない。要するに縮尺してるわけだから。でも展覧会に行くと、画家の意外なタッチの荒さとか分かっておもしろい。CDで聴く音楽とライブで聴く音楽の違いっていうのか、録音も印刷も現物とはやっぱり違う気がする。原寸美術館も印刷だから本物とは違うけれど、縮尺版では見過ごす筆の奔放さや生々しさが、原寸なだけによく出てて、とてもリアル。一例を挙げれば、ベラスケスのマルガリータのドレスの装飾が印象派のタッチのように荒く描かれているのは、ほんとに意外だった!顔だってなにやらルノワールの少女のよう...わしの発見、う~ん、わしってやっぱ偉い、と家人に自慢していたら、しばし沈黙して本書を眺めていた家人、あなた、解説にちゃんと印象派を先取りしたベラスケスって書いてありますよ、だって。たぶん美術史的常識を発見して喜んでいただけなのだが、そういう特徴が出てる箇所をきちんと原寸に拡大しているから発見しやすいのである。この辺は我々美術好きの素人にも、単なる知識の押し付けではない、しかし優れて啓蒙的な画集になっていて、著者の面目躍如といった感がある