ひとこと「痛快です」<BR>ここ最近の日本の政治でも、ここまではっきりと物を言うことはないのではないでしょうか?<BR>狭い日本では、とかく「はっきりと物を言うと角が立つ」というようなことが言われてきましたが、現在の世界政治(パワーポリティクス)の世界でさえ、そのような「たわごと」は通用しません。<BR>あの時代に、「ここまで言うか」というような、徹底徹尾を貫いた方がおられたというのは、日本人としてまことに幸甚なことです。<P>もう何回も読み直していますが、そのたびに新しい発見があり、興味は尽きません。
本書は阿川弘之の「海軍三部作」の最後の作品だが、前2作『山本五十六』『米内光政』では井上成美への取材が土台にあっただけに、資料の正確さや一次証言の豊富さは最も充実しており、伝記としての完成度が最も高いといえる。加えて、井上自身が当時の国内外の情勢を冷静に分析し、報告書などの形で対米戦争反対の立場を明確に主張しつづけた経緯を踏まえれば、彼の足跡を追うことは敗戦までの昭和史を見つめることにもつながる。いわば、昭和史を語るうえで欠かせない一冊なのである。<P>また教育者としての井上の主張は、戦前戦後を経て現在でも十分に通用するものがある。特に高等教育や言語教育、数学教育についての彼の主張は、いずれも現代日本の教育問題の核心を突くものがあり、教育者層で本書がよく読まれるのも頷ける。<P>このように歴史や教育論の本としての側面を併せ持つ本書は、高校・大学生にこそ、参考書よりも先に読んでもらいたい一冊だ。ともすれば社会科教育で省略されがちな昭和史を理解する手段として、また学校教育の意義を理解する手段として役に立つだろう。私自身は高校3年で本書に出会ったが、本書なしでは恐らく勉学の意義を見失い、実りある学生生活などおぼつかなかったと思う。内容は難しいが、井上自身がかつてそうしたように、赤ペンで線を引き付箋を付けながら読むことをお奨めする。
この作品は太平洋戦争の終戦に尽力した提督、井上成美の生涯を描いた伝記小説である。とりわけ戦争前夜から晩年までに焦点を当てて描かれている。構成の仕方に妙味があり、海軍軍人としての井上と、海軍が解体されたあとの晩年の井上と、彼の人生における異なる局面の時間軸を前後させながら物語は展開する。<P> 感じたのは、作品をうかつに読んでいると井上の何が徳なのかが見えてこない可能性があること。大局的、本質的に観察してこそ井上の功績は認めることができるものだろう。<P> さて、井上には性格的欠陥が多分にあったと、まずはそう言わねばなるまい。思ったことは歯に衣着せずそのままズケズケと言ってしまうし、正しいと信じた事以外にはテコでも動かない頑固さがあった。そして何より潔癖症であり、秩序だったものを病的に好む。当然周囲との摩擦が絶えず起こり、敵対者を大勢作った。井上のこの性格はついに生涯貫かれる事になったが、しかしこれをもって井上を過小評価することは出来ない。この作品では様々なエピソードを引いて井上成美の人物像を多角的に映し出している。<P> 人間には良い面も悪い面もあって、一元的にその人を「こうだ」と決め付けることはできない。阿川氏の作品ではそういうことがよく踏まえられており、主人公とする人物の欠点、または偉大性ばかりを強調するような書き方はしない。戦時中や終戦までの悲愴な過程を描くときでさえ冷静な筆致は変わらず、距離を置いた観察者に徹している。それだけに読者は物語を客観的に読むことが出来、様々な感慨を自らの頭の中に思い描く事ができるのである。<BR> 様々見てきて、最終的にはああいう狂気の時代にこの人物がいてよかったという結論に達するのが本書の主題ではないか。性格はどうあれ、正しい方向に向けて行動し発言できる人間がいなくなったらオシマイである。現代の国の舵取りを見るにつけ、一層それを強く思う。