池波さんが生き方を語る本はいろいろあるのだけれど、この本ではわりと直言を呈している。本来はこういうことを父が息子に、あるいは近所のおじさん/大人たちが若い者に指導してたのが、昔は当たり前だったと思うのだが、最近の大人は、大人自身がこういう指導を受けずに育っているので、苦言を呈することができないのだろう。酒の飲み方、ファッション、妻や家族に対して、そして仕事に対して、死ぬことに対して、どれも厳しい面はあるものの、こんな風に生きられれば、じつにかっこ良く、またすがすがしい一生を送れる気がする。
池波正太郎という男の作法を通じて、大人の男の磨き方を学ぶ本である。<BR>著者自身は時代が違うと断りを入れているが、今の時代の我々が必要とするものがここにある気がする。<BR>文章の紹介自体が目次になっているが、目次の文以外にも、<P>「(本当の大阪人、東京人は)決して他国の食いものの悪口というのは言わない」<P>「(男のおしゃれは)自分の気持ちを引き締めるためですよ」<BR>「(チップをやるのだって)男をみがくことになるんだよ」<BR>「公衆電話にいて、人が待っているのもかまわず延々とやっているような女は駄目」<P>「つまならいところに毎日行くよりも、そのお金を貯めておいて、いい店を一つずつ、たとえ半年ごとでもいいから覚えて行くことが自分の身になるんですよ」<P>等々、文中のちょっとしたディテールに粋か野暮かの差が出ており、読んでいて暗黙知を刺激する。<P>語りおろしの相手方、佐藤耕介氏の質問も絶妙。
そばの食べ方を語り、スーツとネクタイの合わせ方を語り、人付き合いの秘訣を語る。それでいてキザさを伴わぬ、むしろ胸のすくようなこの格好よさは何なのだろうか。例えば天ぷら屋に行った時は、揚がったそばから「親の敵にでも会ったように」かぶりつけ、と言う。それが一番美味しい食べ方だからだ、というだけではない。ダラダラ喋っていたのでは揚げる人が油の温度の調整に苦労するからだ、と。またバーで飲んでいる時も、「だんだん立て込んできたら、見ていてスッと出ちまった方がいい」。これも店の人への配慮があってこそとれる行動だ。この本を読み、私なりにまとめた「男の作法」とは、「他人から見て見苦しい所がないか」、そして「他人を配慮した行動がとれているか」、この二点に尽きると思った。そういう意味で、男だけではなく女も読むべきだし、若い人ももちろん読むべき本であると思う。<BR>この「男の作法」は今から20年以上前に書かれた文章である。にもかかわらずその言葉は古くなるどころか、痛烈さを増していくように思う。自分以外はどうでもよくなってしまった人間ばかりの世の中が来る事を、予言していたかのようだ。