カエサル、アウグストゥスと偉大な指導者のあとに続く皇帝達の話。<BR>皇帝ひとりにつき文庫版だと約1冊です。<BR>カエサルは6冊あった。アウグストゥスは3冊あった。<BR>著者の思い入れか、それほど偉大だったのか。<BR>私はひとり1冊分くらいのペースがいいと思う。長いと飽きるから。
前妻との別離により精神的には死んでしまっていたティベリウスが、アウグストゥスの死後、やるべきことをやった物語。<P> 長らく第一人者に頼り切る政体を経た元老院はすでに統治の技術を失っており、帝国の現状を把握する知性も、そして彼自身の誇りも、これ以上逃げることは許さなかった。最早死んでしまったも同然であるから、大抵のことには耐えられるティベリウス。その彼が、やりたいことをやり、欲しい物はすべて手にしていたゲルマニクスが死さえも手に入れたとき、どのような心境であったかは察するに余りある。嫉妬さえも、彼の誇りは許さなかったのだ。しかし、そのティベリウスにも限度というものがあった。<P> カプリへの「家出」という、限りなく優しい表現に微笑まずにはいられない。本人が聞けば、ため息で返事すればいい方。やるべきこともやりたいことも思う存分やったうえで、女に恨まれないという禿の女たらしならば……と思うのも無理はない。やればやるほど彼個人の望みとは離れ、帝権が確立してゆく。
軟弱なわたくしは単行本を買わずに、文庫化されるのを待ってしまっている。待望の続編は賢帝アウグストゥスの後の四人の「悪名高き」皇帝たちである。表題にはこの括弧はついていないが、著者としてはカッコでくくりたかったに違いない。カミュの戯曲に取り上げられた色魔カリギュラ、残虐非道な行いで知られるネロさえも、著者の眼で評価されるべき点はきちんとされているからである。<BR> 驚くべきは、二代ティベリウス以外の三人、特に学者皇帝であったクラウディウスまでが非業の死を遂げていることである。著者は、テロが生じる原因は、絶大な権力を持つトップを変えることで政治が変わるという期待を持つからだ、と記しているが、任期満了や不信任投票という平和的な手段によらず、暴力的な手段で治世を終わらせるしかなかったところに帝政のひとつの欠点が現れている。<BR> これは塩野作品に共通する長所であるが、随所に挟まれる著者の意見が実に的確で参考になるところが多い。文章も相変わらず平易ながら(歴史書ではなく歴史小説に近いから)民衆の人気と統治の実を両方取らなくてはならない政治家という仕事のむずかしさを生き生きと描いている。<BR> 政治の本質自体は帝政と民主制、当時と今においてもさほど変わっているわけではないから、現代政治に関心を持つ向きにもこのシリーズは強く勧められる。さて、われらが小泉政権はどうなるであろうか。