ローマ帝国の「危機管理」の確かさが 実に読み応えがある。主導権を巡る内部闘争が 外部の反乱を招くというのは 現代の色々な「組織」でも良くある話だ。日経新聞を読んでいれば そんな記事は百出である。誠に 人間は2000年前と大して変っていない。<P> そんな危機にどうやってローマ帝国が対応したのかが本書のテーマである。見事な危機管理振りには唸ってしまう。<P> ここで塩野七生が追求しているのは その時点での登場人物たちの資質ではない。勿論 危機管理をやれた連中であり そもそもの個人の資質は高い。但し 塩野七生は そんな個人の資質に 危機管理の成功の原因を求めてはいない。むしろ カエサル以来のローマ帝国のスキーム自体に 成功の原因を求めている。そうして そのスキームを作ったカエサルを声を上げて賛美していると言って良い。そもそも この「ローマ人の物語」を書いている塩野七生の原点は「時空を超えたカエサルへの片思い」にあるというのが小生の 22巻まで読んできた実感である。<P> それにしても昔のローマ人の危機管理は素晴らしい。時代を超えて 大変勉強になる。
ローマ人たちにとって悪夢の紀元69年が過ぎていく中、希望への光明が胎動していた。ヴェスパシアヌスとその仲間たちである。歴史というのは、後世から振り返るものである。カエサルやアウグストゥスのような比類なき才能に恵まれなかったヴェスパシアヌスの帝政時代に広大なローマ帝国に平和と秩序が戻ってきた。その結果を踏まえて塩野七生はこのような叙述する。当時のローマにおいて帝政というシステムが破綻した訳ではなかった。有効に機能させるための「健全な常識」を持ったトップが必要であったのだ、と。69年時の皇帝たちとヴェスパシアヌスの鮮やかなコントラストを描きながら、「健全な常識」とは果たして何か、複数の具体例を元にして紐解いていく。
素人の特権を利用させていただく。<BR> ローマの税率が低いのは、庶民が銀貨も金貨必要としなかった生活と、富の再分配にあるのではないか。<BR> 古代はすべて人力に頼った時代である。使うのも牛か馬といった所だ。エサはそこらじゅうに生えていたであろう。道路をひくのは軍団兵の仕事。材料は石だ。アスファルトを生産する施設も敷設する機材も不要。矢も投げ槍も、先端を回収すれば再生産可能だ。暇なときの軍団兵の仕事に、矢の製作は当然入っていただろう。現代ではミサイル一発で兵士一人の年収が飛ぶが、投石機なら落書きに包まれた石が飛び交うだけだ。空母となると国家予算が飛んで行く。燃料?人なら小麦で済む。<BR> そしてローマでは、富の再分配を金持ちが名前が残るからと大喜びでやった国である。しかも国家の仕事を肩代わりしてくれたのだ。ローマが小さな政府でやっていけたのはこういう訳ではないだろうか。