書名からピカソの青春の苦労話を想像するとすれば、肩透かしを食らう。もちろん青春の苦悩への言及はあるが、それに留まらず、岡本の考えるピカソの魅力の本質をこれでもかと言う程抉り出している。そして岡本のピカソ論が、抽象芸術やキュビスムに対する入門書にもなっている点が本書を更に魅力的にしている。僕は芸術を学んだことは皆無に等しく、ピカソのような抽象的な絵に惹かれつつもほとんど理解出来ないでいたが、本書を読んで先が見えてきた気がしている。そういう芸術の魅力を理解出来た気になっている。初版は昭和28年なのに、読みやすくもあり、ほんとうに「読んでよかった」と思える本だった。
「作品は形骸である。学ぶべきものは結果ではなく、それに至り、それを超える道程なのだ。つまり作品ではなく、芸術家のドラマが真に問題となるのである。」(本書98頁)<BR> 本書はピカソの解説書などではない。岡本という一個の精神が、ピカソを通して彼自身の中に見て取った渾沌の記録である。<P> 我々は、ピカソを、岡本を、「天才」などという慇懃無礼なカテゴリーに括ってしまい、彼らの葛藤から目を背けてはいないか? ほかならぬ我々一人一人が、自身の生身の感性を積極的に打ち出さんとする何かが心中にうごめくのを感ずるのでなければ、実は彼らから何のメッセージも受け止めなかったに等しい。<P> 「拝跪・礼賛は、知るや知らずや態のいい敬遠である。自動的な祀り上げによって、それとの峻烈な対決を回避し、消極的に己れの卑俗な世界を守るのである。神棚に鎮座した形而上学的存在はまた下界を毫も動かし得ない。つまり相互は無縁となり、ともに新しい現実に対してはまったく不毛なのだ。」(本書21-22頁)
私は芸術のことは、サッパリ分からない。特に、絵はサッパリである。そのなかでも、本来の形がバラバラになって、デフォルマシオンされているのはてんでだめである。<P>そのキュービズムを顕現させたのが、ピカソらしい。そのピカソに関する、天才太郎の解釈とその歴史を解説してくれているのが、本書である。もちろん、ピカソ本人とも、われらが太郎は交流がある。ただただ、脱帽である。なぜか。その太郎の見識もさることながら、太郎の芸術にたいする、真摯な態度と情熱には、常人には及ばない、その天才性の故である。<P>この日本人太郎を持ちえたことは、われわれの誇りである。