レイチェル・カーソンの「沈黙の春」はもはや環境問題についての古典である。1964年、日本で刊行された時は「生と死の妙薬」という題名だった(あの題名のままだったら専門家にしか読まれなかっただろう)。害虫を駆逐するつもりで使っていたDDTは多くの人の予想に反して生態系にまで深刻な影響を与えていた。今では常識となった考えだが、当時はその重要性があまり認識されていなかった。体内に蓄積され、それがまた別の生物に食べられることで毒性が強まってゆく悪循環。さらに耐性を持つ生物の出現。一つのバランスの変化が多種多様な動植物にまで及んでしまうことの危険性は今でも同じだ(近年成立した日本の外来生物法は遅すぎるくらいだ)。カーソン女史の警笛は多くの国に届いたが、自然破壊は至る所で進んでいる。利害が必ずしも一致するとは限らない。DDTも初期は確かに役立った面もある。が、必ずしも万能薬ではなかった。環境に対する認識が甘かったのだ。 生態系のバランスを考える時、身近な例で考えるとよい。例えばメダカ、嘗てはかくさん見れたが、今はどうか。もう身近ではなくなってしまった。だからって、何でもかんでも放流してよいわけではない。その場所にも固有の種類があり、これもメダカだからと放流してしまうと、そこに住むメダカと交雑してしまい、固有種に影響を与えてしまう可能性があるからだ。私は日本で外国のクワガタ・カブトムシが輸入解禁になると話を聞いた時、複雑な思いだった。東京ではもう日本の固有種と交雑してしまったらしいものが発見されたらしい。私はこういう事態を危惧していたのだが、カブトやクワガタは飛べるので運ばれる時に脱走した場合、より広い範囲で広まってしまう可能性もある。飼う人、業者は管理を怠らないで。この眼鏡、4つ星と見る。私たちの身近なもの考えてみて下さい。
二十世紀に書かれた生物・化学分野の書物として、長く読みつがれてゆく古典である。ここでの著者の主張自体はもはや本書をひも解かなくともすでに自明のことであろうと思われる。DDTは日本でも頭から散布されたし生物濃縮ももはや常識となっている。<BR> では、ここでカーソン女史が提起した問題は現代において解決しているのか? そこが問題である。二十一世紀の現在、当時の農薬に匹敵する、われわれの生を脅かす化学物質は、日々摂取する食事そのものの中に広く存在する。<BR> 遺伝子組み換え食品の危険性は潜在的なものであるが、表示に「・・は含まれていません」と記載のある食品は増加している。よって、食の安全性に関する意識はかなり高くなっていると想像されるが、豚や鶏の成育過程において投与される抗生物質はすでに耐性菌の問題を生んでいるし、体内に残留してる可能性も考えられる。肉の発色にはたんぱく質と化学変化を起こして発がん性を惹起する可能性のある亜硝酸塩が相変わらず使用されている。ファーストフードやファミリーレストランで提供される食事は工場で生産されているものがあり、その製造過程は不明であり、多数の食品添加物が使用されていると考えられる。また安価であるという理由でパーム油などの従来食用に適していないとされた油脂が大量に使用されるようになっている。etc,etc...<BR> 女史なら、日本の現状をみて、どのように思われたであろうか。
沈黙の春を初めて読んだときには感動しました。<BR>1950年代にちゃんとこういう環境問題を考えていた人が<BR>アメリカにいたのかと。<BR>でもこの本は誤訳が多く、、化学の分からない人が化学の本を訳すと<BR>こうなってしまう、という悪い例として有名なので、<BR>本格的に読みたい人にはあまりお勧めできません。<P>英語のできる方は、原書で読むのがいいかと思います。