読み終わった後も色々考えさせられるのがローマ人の物語の愉しい所なのだが、やはりローマ人がローマ人であったからこそ100年にも渡るパックス・ロマーナを享受し、またローマ人がローマ人であったからこそ混迷の三世紀を経た後に専制君主制に変貌する様が、ここでは描き出されている。<BR> 多くの研究者がこのコンスタンティヌス帝で筆を置くが、ローマ人の物語はローマではなくローマ人の物語なのだから、と筆者が言うように、ローマ人がローマ人である故に来る衰亡を見守りたい。
きっと作者自身も、カエサルやアウグストゥス、五賢帝を書いている時代ほどには、ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスに思い入れはないのでしょう。それにしても、前半の息もつかせぬ勢いは遙か遠く昔になりにけり。キリスト教がお嫌いなのはわかりますが、他の評者も書かれているように事実誤認は困ります。一年に一冊、無理して出さなくてもいいので、しっかり文献を読み、少なくとも研究書の要約みたいなものだけは書かないで下さい。読者が塩野氏に期待しているのは、なによりも我々読者をローマという時代に連れて行き、そこで同じ時代の息を吸わせてくれるような、タイムマシンの操縦士兼ツアコンとしての役割なのですから。残り二巻の奮闘に期待します。
このローマ人の物語も13巻にして、終に1000年に及ぶヨーロッパ中世が垣間見えてきます。<BR>それは、コンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認に始まります。<BR>なぜ、キリスト教が公認されることになったのか、<BR>著者なりの見解が示されますが、どうも今ひとつ納得感が考えられません。<P>それは、当時のローマ人の生活が見えてこないからだと思います。<BR>五賢帝の時代とは庶民の意識・暮らしぶりが、どう変わってきたのか。<BR>その結果としての、政体・宗教観の変容があるはずなのですが、<BR>そこの説明に欠けているようです。<BR>著者は、政策の変更によって世の中が変わったかのように述べていますが、<BR>それは逆ではないでしょうか。<P>ローマの興隆期を描いた頃に比べ、作品自体も衰えている感が否めませんでした。