彼らは最初から、ふつうの人たちとは違っているのだと思う。<BR>山に登る話は、よく美しい表現がされていて、<BR>読む側が勘違いしてしまうが、<BR>ここには、喜びや苦痛を含めた、リアルな人間像が描かれており、<BR>自分とは違うけれど、魅力的な生き方をしている人の姿を<BR>感じ取ることができる。<BR>生きることと死ぬことが、常に隣り合わせの登山家にとっては、<BR>どっちを取るかは、驚くほど簡単な回路で選択できてしまう<BR>自分が生きのびるという観点から判断するという<BR>シンプルで恐ろしい解決のしかたなのだけれど、<BR>これは、自分たちが日々の暮らしの中でこだわっている小さな問題を<BR>簡単に吹き飛ばしてしまうほど、迫力がある。<BR>身体的なダメージを受けても、人が望むことが<BR>これほどの迫力を持つ物なのかと驚いて読んだ。<BR>真実だから、すばらしいのかもしれない。
数年前の事、新聞で遭難を知り、奇跡ともいえる生還のニュースに感動したことを覚えています。山野井夫妻の死と隣り合わせの登山をクールに描き、始めから終わりまで一気に読むことが出来ました。登山についての知識を持っていなくても技術や方法が分かるように書いてあります。ただ沢木流といえばそれまでですが、「書き過ぎ」と感じるところが何ヶ所かありました。それ自体が想像を絶するような冒険であるので、些細な事にドラマ性を持たせなくても良いのではないかと思いました。今のところ夫妻のギャチュンカン山行について書かれた最良のものかもしれませんが、別の作家や別の視点からの作品も読んでみたいと思いました。
沢木耕太郎 初の山岳ノンフィクション。<BR>クライマーとして、日本でよりもむしろ世界的に有名な山野井泰史が、女性登山家として有名な妻の妙子とともにギャチュンカンという7,952mの山に挑んだ際の、緊張感にあふれる登山の様子を、著者特有の綿密な描写で再現している。著者の意見や考え方などは全くあらわれず、死と隣あわせになりながら山に挑む、山野井と妙子を空から見ているような描写である。また、通常この分野の本では多用される写真、地図などを全く使用せずに、簡潔な文章のみで状況を描き出す力量は著者ならではのものである。<BR>山野井については、山岳ノンフィクションライターの丸山直樹による『ソロ』、山野井自身が書いた『垂直の記憶』があり、事実関係のみ考えれば、本書は、この2冊以上の内容はカバーしていない。しかし、これらの2冊は、登山の記録または登山者向けのノンフィクションの域をでていないが、本書は、クライミングの知識がない、クライミングに関心がない読者をも引き込むものとなっている。山岳ノンフィクション分野を越えて、ノンフィクションの傑作と言える内容である。<BR>登山(特にクライミング)の知識がある人にとっては、道具やテクニックに関して一部くどいと思えるような説明がでてくるが、気になるほどではない。