アラーキーは自ら「天才」と称している。何冊もの多様な写真集を見てみると、(?)と感じるものもあるのだが、写真集を見てこれ程感動と悲しみをカメラという道具を駆使して見る者に訴えかける力は、一体何だろう?「天才」だから、見る人の視点で、どう感じるかを素早く読み取り、シャッターを押す行為は、並みの人には出来ない。若き荒木が新婚時代に撮った「センチメンタルな旅」から、愛する陽子さんがガンで亡くなり、大切な人を失った主人公の目には、モノクロームの風景しか見えなくなる。それも悲しい風景ばかり。何気ない見慣れた物さえ悲しみを帯びている。しかし、次第に陽子さんの死という現実から立ち直る主人公には色が見え始める。写真だけで私に強い感動を与え、見ているうちに涙が止まらなくなった写真集は、これが初めてです。最愛の人の死という、誰もが体験する事をこれ程までに明確に写した人は、荒木しか居ない!写真で感動した記憶があるのは、土門拳の「筑豊の子供達」以来である。凄い!「天才」の名に恥じない傑作である。必ず感動しますよ。写真がもつ表現力の限界を超えている!
この写真集は、センチメンタルな旅、つまり、彼と、陽子夫人の新婚旅行の風景から始まる。写真というのは撮ってしまった瞬間にその風景は過去のものとなる。もう2度とそこに戻れない風景になる。初夜の風景、乱れた寝具まで生々しく撮られているのだが、ひどく物哀しい。ひどく物哀しいのだが、最後までゆっくりとページをめくっていくと、その物哀しさがある種、「昇華」されているように感じる。納得。諦め。でも、諦めているんだけど、ふっ切れているような、どこか晴れやかな感じもします。でも、ふっ切れていて、晴れやかなんだけど、それだけに、喪失感が余計痛々しい。とてもとても痛々しいので、ほんとうに大切にするべきなのは何なのか、時折、思い知らしめてくれるような気がします。
荒木経惟という名を耳にして、エロティックなヌード写真家であると考える人は多いと思う。かくいう私もその一人であった。この写真集では、写真家ではなく一人の人間荒木経惟の素顔を見ることができる。 妻を心から愛し、その妻を看取るただ一人の名もない男の素顔があるだけである。