小説家は一体何を目指しているのか、と思うことがたまにあります。人生とはかくあるべし、と読者に教えたいのか。明らかに違うでしょう(そういう人も中にはいるでしょうが)。こんな人生もある、と知らせたいか。それはあるかもしれない。小説を書こうという気になったことがない私にとって、小説家の書く動機というのは興味がありました。<P>著者はこう言います:「小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、視線の運動・感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ」。おーっ、なるほど。運動が起きればそこに何かが生まれる可能性があるわけですね。それは作者も予見できない何かなのでしょう。<P>作家は評論家が嫌いのようで、本書でも結構世の評論家諸氏が槍玉に挙げられており、そのこき下ろし方が面白いです。
いわゆる「文芸批評(評論)」的なものが随所で批判されているのだが、これも一種の文芸批評だろう。保坂和志さんなりの小説の読み方、良し悪しの基準、あるべき論が語られているのである。小説の「書き」の専門家と「読み」の専門家とでは、小説に対する態度がまったく違うんだ、といくら主張したところで、それもひとつの「批評(評論)」のかたちを提示しているにすぎない。何らかのジャンル批判は、すべてそのジャンルの歴史の内部に取り込まれ、そのジャンルの欠点を補い中身を豊かにしていく。<BR>そして、斬新でおもしろい文芸批評だったというのが、けっこう読むのに苦労する込み入った論旨の本書を読み終えたあとの感想である。私はカフカやベケットの小説も、アウグスティヌスの信仰告白も、読んですばらしいとは思えず、むしろ「社会問題」とか「トラウマ」とかにたよりがちな「ミステリー」などはわりと好きな人間だが、保坂さんの批評を読んでいると、なるほど、カフカは確かに素敵な小説書きなのだなあ、と説得された。<BR>もっと言ってしまえば、そもそも保坂小説そのものが実はこれまであまりよく理解できないでいた。なので、本書で提示されたものの見方を学んだあとで再読してみれば、かつてない新鮮な世界が開けてくるのではないか、という淡い期待を抱いている。そういう、小説への新しい視点を読者に教えてくれる。まさに優れた文芸批評である。
・・うーん、難しい。<BR>小説とは何か、小説をどう読むべきか、<BR>というようなことが書いてあるみたいでした。<BR>「みたい」となってしまうのは、文章がむずかしくて<BR>よくわからなかったからです。<P>保阪さんによれば、一気に読める小説は、そもそも小説としてNGだそうです。<BR>また、一気に読めない(読みづらい文章の)小説の<BR>テーマ(や、意味・言いたいこと)を探したりして、批評するのもNGだそうです。<P>字面としては読めたのですが、保阪さんの言っていることが全然わかりませんでした。<BR>すみません、私は著者の想定していた読者ではなかったようです。