国語のできない小学生が、この本を読んでできるようになるための本ではない模様。むしろ、ある程度実力のある小学生が伸び悩んでいる時には大いに参考になるだろう内容だと思われる。また、国語教育について考えてみたい大人にとっても大いに参考になる内容だ。<BR> ではどうしてできない子供にとっては不可な内容なのだろうか。それは間違いなくできない子供はそもそも絶対的な読書量が不足しているからなのだ。読書の量の蓄積がなくてはこの方法論は使用できない。それははっきり意識しておくべきである。<BR> なお、わたくしは「新釈現代文」(新塔社)を読んだ世代であるが、あの試験問題・入試国語を疑わない素直な姿勢に比べて、石原氏は最初から「受験国語」に不信感を抱いており、だからこそ「マトモに捉えないで要領良く突破しようよ。読書の楽しみは別のところにあるんだぜ」と囁いているように見える。それが実際に受験問題に取り組む子供にとってプラスに作用するのかマイナスに作用するのかはわたくしには判断不能である。
夏目漱石を専門とする大学教授である筆者が、息子の中学受験を機に中学入試の国語について考えた本。<P>前半の親子受験奮戦記みたいな部分はまぁ置いておいて、なるほどと思わせるところは沢山あった。特に、p9の「いま『国語』がやっていることは『道徳教育』である」「子供たちは、ルールを説明されないままままゲームに参加させられているようなものなのだ」「『道徳教育』を目的としている以上、『国語』で教えることのできるテーマはごく限られている」という点は非常に納得した。その他、「物語には4通りの基本的な型がある」とか「逆接の接続詞を使って書くとうまく記述できる」といった実戦的手法も述べられている。
第1部の「中学受験体験記」は,大学教師であり一児の父親でもある著者の,知的で人間的な側面が垣間見られ,楽しく読み進められた。親の身勝手が子の身を滅ぼす受験戦争の中にあって,勉強以外の面でも子供にバランスを求めようと努力する親の姿が,控えめに,しかしながらしっかりとした存在感を持って描き出されている。第2部では,中学受験国語の問題に対し,文学研究者である筆者が本格的なテクスト分析を行っている。感覚的なものとして捉えられがちな国語の読解を,その背後に隠れた構造を描き出し,説明しようとする点は,下手な塾の授業より分かり易い。分析手法が,あまりにもパターン化されているきらいがあるが,「国語は感覚」と言い切って,子供達を煙に巻く教え方よりは100倍ましであろう。筆!はこの他に「教養としての大学受験国語(ちくま新書)」という書も執筆している。こちらは,「教養+参考」書の形式をとっており,現代の教養を身につけたい高校生から大学生,大人まで,是非お勧めの一冊である。