コケシが子供を間引きした時代の子消しが語源という説など、<BR>随所に知恵袋的な話があり面白い。<P>生物学的な「人」と社会的な構成員としての「人間」、<BR>その入会・脱退として死生観を語り、堕胎が問題になる西洋に<BR>対してそれほどは問題になっていない日本では胎児や嬰児を社会的<BR>人間として認めていない無意識の社会的背景にあると説く。一方で<BR>個人の選択権としての死である安楽死が日本では大きな問題になる<BR>ところなど、なるほどと思う。<P>また1人称の自分の死は実存せず無駄に苦悩し、<BR>親しい知人の2人称の死という胸がはりさける「死体」は「人」的で、<BR>そして他人の三人称の死にはモノ的な側面があるというような論考、<BR>そもそも「死」の問題を「死体という具体物」で論考する切り口など<BR>新鮮な印象を受けた。<P>著者の幼少期の父親の死が遠因となって解剖学教室へと進んだ<BR>という自己分析など、自叙伝的な雰囲気もある。<P>馬鹿の壁の方が内容は濃かったと感じたが、知恵深く人生を味わ<BR>ったとても素敵なおじいちゃんの知恵袋としては、秀逸な本だと<BR>思います。気合入れて読む感じではないんですが、新幹線の移動<BR>や、もの思いに耽りたい夜なんかにはお薦めできます。
前作『バカの壁』が悪書であるという認識は変わらない。ただ、あの本がヒットしてから著者が出演したNHKの番組で語ったさまざまな事柄に関する考えに対しては大いに感銘を受けた。<P> しかるべくして著者の本業の一部である「死」についての本となった。本領発揮です。<P> 『砂の器』がハンセン病抜きでドラマ化されるような世の中で、きわどいテーマについて筋の通った意見がいくつも出てきます。死体に関する著者の洞察力もすばらしいが、仲間(=村)意識をとって死だけではなく靖国問題まで語っている部分もイケてます。<P> 個人的には、終章におけるオリンピックに関する言及が最高です。爽快でもあります。いろいろなところから圧力がかからないような生活を送っていることの証明でしょう。
養老センセイは医学部の解剖学が専門である。死体と過ごした研究生活に基づく、死生感で何か書いていただけば、また、ベストセラーの柳の下、を狙った売れ筋ねらいすぎが率直な感想である。<P>編集者の後藤さんに苦言したい。サラリーマンで、売りがすべてであってもプロならばヒットをあてたからと言って読者をあなどらないでほしい。バカの壁があっても良質な読者ならば、そのくらいは読めば判断できる。語り下ろしで立派なセンセイのお話をテープおこししただけでは名著にはならない。本書のどこに「死の壁」という結論があるのか?<P>養老センセイも生計の糧とはいえ、お答えを聞きたいところだ。<P>養老センセイの本をまだあまり読んだ事のない方には興味ぶかい視点のヒントもちりばめられている。他のレビュアーの方が良し悪しの判断がつけにくいというのもよくわかる。