空海という空前絶後の巨人を随筆風に描いた作品。空海の思想という核心には近づかず、その周囲を旋回しつつ、周りを点検していくという作業が繰り返される。上空から空海という存在を俯瞰することにより、等身大の空海のイメージを徐々に読者に固めいってもらうという狙いがある。それゆえ、「空海の思想」という核心に近づきたい人は、ある種の歯がゆさを感じるが、読了すると、「俯瞰することで、実は人間空海の実体に近づいていた」ということに気付く。あえて核心から遠ざかり、周囲を旋回しつつ、徐々に人間空海にアプローチしていくという、巨匠司馬遼でしか出来ない見事なアウトボクシング。
流石、司馬遼太郎といわざるを得ない出来でした。司馬氏の小説は、自身が小説に「余談」として参加してきます。小生、その情報収集能、分析能力、それらのエキスを文章化する能力に酔いしれてきました。<P> 本著はその際たるものであると思います。空海の行動、台詞に一度も断定型を用いることなく「余談」をベースに完結へと向かいます。<BR> 学者(解説書)ではなくあくまで小説家としての司馬氏にあらためて敬意を表したいと思います。無論、形而上的な真言密教についても(下手な解説書より)解りやすく、詳しく何度も説明があり読了後には密教を理解した気にさえなってしまいます。<P> 司馬遼太郎の底知れぬ想像力を改めて痛感させられる一冊でした。
わたくしは司馬遼太郎さんのファンではありません。小説は全然読みません。この本は小説ではありません。ご本人もそうおっしゃっていたと思います。<P>日本の歴史上最大の天才(と湯川秀樹博士も推す)空海に関心があり、いろいろ他の著述家(学者諸氏および小説家)の本も読んでみました。確かに、稀にみる天才空海について描かれ、その大まかな足跡は辿ることができても、生身の、血の流れている、同じ人間としての空海には出会えたような気がしませんでした。が、この著述は違います。人間としてのドロドロした部分も持ち合わせた空海に、実際に出会えたような気がいたします。また、室戸岬の空と海の接点で、空海の経験した、明星が口に飛び込む神秘体験なども、出来事として生じえたであろうと素直に感得できます。<P>とにかく、昔の人物です。資料の少ない中で、入手できる僅かな事跡を辿り、想像力(推理力)をフルに駆使してのたいへんな執筆だったと思います。しかし、歴史好きの司馬さんには極上の楽しい時間となったとも思います。その知的な楽しさが伝わってまいります。司馬さんと、共に想像し、推理する楽しさを味わえます。とにかく、読んでいて「そうだろうな、そうだったろうな」と思わせる小説家司馬遼太郎の手腕には脱帽いたします。また、緻密な資料の運用は歴史家司馬遼太郎の面目を大いに示すものです。<P>また、この著述は、日本の宗教の源流への旅ともなっています。<BR>仏教に関心のある方だけでなく、日本の文化・精神の源流を辿ってみたいという方にはぜひ読んでいただきたい本です。<P>上巻は、空海の生い立ち、入唐あたりまでが記されています。<BR>ぐいぐい引き込まれると思います。