この本を読んですでに30年近い歳月が過ぎてしまいましたが、いまだにこの本のさまざまな言葉やイメージが忘れられないでいます。でも、文学好きの高校の同級生とこの三島について話したとき、彼が「なんでこの本には、漱石や荷風が出てこないんだ?」と言ったときの軽いショックほうが事件として脳裏に焼きついてます。夜空の星座のように、日本と世界の文学を位置づけて見せているはずの三島の手腕に、なんでそんな片手落ち(あ、サベツ語か?)があるのか。いまだに腑に落ちないので、星四つです。
三島由紀夫の小説は、一文一文、彼独特の感覚で <BR>複雑で分かりにくいことも多いけれども、それゆえ詩的で美文。 <BR>またわかりにくい文のメリットとして、すぐに読みとばすことを拒否する、<BR>という効果がある。安易に知的に理解させず、人の心の中で熟読され、<BR>熟成することを要求するかのようです。 <P>文章読本より <BR>「歩くことによって10冊の本では得られないものが<BR> 1冊の本から得られる」 <P>注意力を持って読め と言う意味だったのでしょうが<BR>これは情報過多の時代の反省にもなるような気が致します
若い方では作家になりたいと言う方が多いですが、文章の技巧を磨くことと同じくらい自分の書くものに、またはたくさんの作家の本に接する態度、それらに対しての考え方と言うのは重要であると思います。<BR>この本には、文章についての種々多様な美学があふれています。<P>森おう外と泉鏡花を両極の完成型として、それぞれの文章を分析してゆく所など、面白かったです。<P>作家になるためにはたくさんの本を読み、数多の言葉に接しなければならないと三島は言っています。世にあるたくさんの本を隅々まで理解し、楽しむために、この本はよい道しるべになりえると、私は思いました。<P>余談ですが、私が嫌いなJ文学などの方の書く文章がいかに軽薄でつまらないものか、この本を以前読んでいたから思うことかもしれません。<BR>リズールになりたいなんて、よく思ったりする昨今です。