まさに、驚くべき証言に満ち溢れた書である。<BR>こういった巨大災害においても、被害者個々人にとっての災害は、<BR>あくまで個人的な出来事であることを痛感させられる。<BR>ニュース映像を見ているだけでは絶対分からないことである。<BR>これは、阪神大震災に関する書物を読んでも感じることだ。<P>ネタバレになるので詳細は書かないが、<BR>崩壊した瓦礫の中にも生存者がいたこと。<BR>崩壊の危険性が予測されながら、現場の消防士たちにはその情報が伝わらなかったこと。<BR>北タワー内部にいた人は、南タワーの崩壊を知らなかったこと。<BR>などなど、そのひとつひとつの具体的証言は驚かされるものばかりだ。<P>そうした中で、一瞬にして凶器と変わりうる高層建築は人間社会の中でどうあるべきか。<BR>防災設備は経済原理との兼ね合いの中で、何処までコストをかけて、どう設計されるべきなのか。<BR>結局、このような超高層ビルを建ててしまったことが事件の発端であっただけに、<BR>建築・防災に携わる人には、是非とも教訓としておくべきこと満載である。<P>なお、私に限って言えば、翻訳文が気になることは全くありませんでした。<BR>横文字の名前も、男女の区別に戸惑ったくらいです。
この惨事の1年前まで南タワーに勤務していた人間として、<BR>読まずにはいられないという気持ちの一方で、<BR>実際に読み進めていくにつれて、<BR>知っている人間の実名に出会うという苦痛の板ばさみ状態でした。<BR>確かにこのような描写の連続で、<BR>これだけのページ数を読みきるのは苦痛かもしれません。<BR>でもそうした評論よりも、4年たった今というタイミングで、<BR>改めてこの出来事が何を意味していたのか?<BR>問いかけるものだと思います。<BR>是非一読をお勧めします。
文藝春秋刊の翻訳ドキュメンタリー。実に、実務翻訳タッチである。<P>78~83階までのみずほと富士銀行関係者の間では年4回火災訓練がおこなわれていたという(56頁)。その他のフロアではどうだったのか。<P>内容を云々する前に感じたこと: 日本人向けの一工夫がなく、ちょいと抵抗を感じる方が多いことを危惧した。早稲田大学教授の肩書きを持つ本書の訳者は精力的に翻訳活動をされている。それも比較的大著をだ(例 辞書の歴史)。やはり下訳(学生?)をつかっておられるのだろうか、または機械翻訳か、と思いをめぐらせる。