「戦争とは何か」のティンパーリーが国民党プロパガンダ部顧問であるとは良く知られた事実であった。<BR>親中共派のアメリカ人ジャーナリスト、アグネス・スメドレーはその著書「CHINA CORRESPONDENT」に当時の南京のアメリカ人宣教師たちは国民党の味方で、南京放送を使って中共軍に不利になるよう「歪曲した情報」を流している、と書いていた。<P>スメドレーが「Y.M.C.A.の秘書」と言っているのは「南京国際委員会」のフィッチのことやいかに、とずっと疑っていたが、南京大学教授のベイツ博士がまさか!<P>ベイツは、南京虐殺「中間派」の中でも最も欧米ジャーナリストが信頼を置く秦郁彦氏なども、絶対の信頼を置いてその言説を信奉していたのである。これでもう、「中間派」もベイツの主張を根拠にすることはできなくなった。<BR>北村氏の発見は、虚構としての「南京虐殺」論争に文字通り終止符を打った、ということになる。<P>惜しむらくは、北村氏もまた、「裁判なしの便衣兵の処刑が違法」であり(実は、便衣兵は国際法上「戦争犯罪人」と芊做され、慣行として諸外国でもこのようなゲリラは裁判なしで処刑して可、と認識されている)、それがある限り「虐殺は無かった」とはいえない、という立場を採るのであるが、とりあえず、その大発見に拍手!なのである。
~南京というとすぐに「大虐殺」ということばを 付けている自分に気が付いた。固定観念とは 恐ろしいものだ。情報を受け入れるのに 考えずにそのまま身につけてしまっている。著者の南京事件に対する切り口は 新鮮であると同時に感情的になっていない点が 好感を持った。南京事件が生まれるまでの歴史的背景にも 言及しているので 南京事件初心者の 私~~でも理解しやすかった。著者は 膨大な資料を研究して説得力を持たせようとしている。矛盾点を解明していく様は 読み応えがあったが 全体のボリュームが 少ないので もう一歩踏み込んで欲しかった。~
「南京事件」という政治性を帯びた左右にブレの大きいテーマについて考える時、まず最初に読むべき本として本書をあげたい。なぜならば、政治的な立場から独立した研究を目差して、歴史研究の基本に立ち戻り、資料をとことん読み込もうとする著者の態度を支持するからである。著者は、事件があったか無かったかを性急に議論するのではなく、”「南京で大虐殺があった」という認識がどのような経緯で出現したかを順序だてて確認”している。<P>「南京事件」を確定したのは、南京と東京で行われた戦犯裁判だ。その判決文に採用された資料の中に、イギリスの日刊紙「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員、ティンパーリーが書いた書籍がある。実はこの本は、国民党中央宣伝部国際宣伝処による国際諜報活動の一環として作成されたものだった。このように英語で書かれた資料はもちろんのこと、中国語の資料を読む力も求められる。著者は原文と訳文の突き合わせ、あるいは初版、改訂版における内容変更の有無に至るまで、様々な資料を詳細に検討している。その結果本書は、「南京事件」について一般市民が「常識」を働かせて判断するのに役立つ「材料」を数多く提供している。<P>著者は結論として南京大虐殺そのものはなかったという。ただし、日本軍による行過ぎた暴力行為が多発したのは事実としている。日本国政府は、中国人の抱く怒りと悲しみの背景を理解しつつ、事実を一つ一つ検証しながら国際社会に向けて「説明する責任」を負っている。「ひたすら謝り続ける」だけの外交では国際舞台には立てない。